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呪術廻戦ファンブックメモ/五条悟の善悪の判断基準について他

※自分用備忘録。思い立ったら加筆します。
※一から十まで妄想です。
3/20加筆修正

①五条悟の善悪の判断基準について

五条悟には強固に社会規範が枷として嵌められており、それが彼を社会性の生き物として規定し、人外の化け物の人たらしめているのではないか、と今まで推測していた。
そこへ「五条は夏油の判断を善悪の指針にしていた節がある」「夏油出奔後の方がしっかりしている」ですよ? とんでもねえな!!!
今までnoteにさんざん好き勝手に書いてきたところでこれですよ。解釈一致しまくりですよ。

先日この記事で書いたが、高専時代の五条は夏油を自分と同一視しかねないような危うさもある印象を受ける。自他の区別が危ういような。

一見すれば、五条が夏油にべったりくっついているかようにも見える。「初めての友だち」と何でも一緒にやればできるのだと無邪気なまでに信じて、少しばかり意見の相違があったとしても、なんだかんだで最後には同じ方向を向いていると疑いもしない。
時にいがみ合う姿を見せつつも、五条と夏油はひどく親しげで、あまりにも距離が近すぎる。互いのすべてを知りつくしていると錯覚するようなレベルで。
思春期まっさかりの格好つけたがりの男子高校生には見えない。まるで、うんと幼くて自他の境界も曖昧な子どもみたいだ。
だから、得たばかりの未分化の感情のありったけを「初めての友だち」に抱いて、距離感を誤ってしまった。

夏油もそれを察していて、世間知らずな五条の手を引いているつもりでいたのではないかとも書いた。それで「夏油が善悪の指針」なわけですから、まさに解釈の一致ですね。何なんですかね。こんなに解釈が一致していて大丈夫なんですかね。
やはり五条は人の振りをした人外で、心の未発達な子どもで、夏油に人としての振る舞い方を教わっていたのではないか。何も感じない状態こそが本来の姿ではないのか。

他者に判断基準を委ねるのはとても危うい。十代半ばにもなってそんなことをするのは不健全きわまりない。というか、思春期ってそういう自己主張が激しいお年頃のはずなのに。
それだけ夏油の判断に重きを置いていたのだろう。ポジショントークと揶揄したくせに。正論は嫌いだなんてうそぶいて。

他者に基準を依存し、その人が間違えたらどうするのか?
現に、指針を委ねられた夏油は道を誤った。
だが、夏油が「善悪の判断を間違えずに行える」と判断を下したのは、まぎれもなく五条自身なのだ。

彼はその選択から逃れない。最終的に夏油が誤っていると判断するのもまた、五条自身だ。責任を取るかのように、夏油に引導を渡したのも。
五条が夏油に判断基準を委ねていたとしても、夏油が非術師を殺した時、瞬時に夏油が間違いを犯したと判断した。どれだけ夏油のことを親しく思っていたとしても、五条は一線を越えなかった。最後の判断は、他人に委ねていなかった。
夏油に寄りかかっているようでいて、しっかりと一人で立っていた。寄りかかられた夏油の方が錯覚していたかもしれない。

社会規範を持っていることと夏油を善悪の指針にしていたことは両立する。大枠が社会規範で、たぶん個々の細かい判断を夏油に依存していたのだろう。なぜかと言えば、自分の心(善悪の判断能力)が希薄だから。自分の心が未発達で人の心がわからないから、他者の判断を指針にしていた。他者に判断を依存することで、自他の境界が曖昧になってゆくのにも無自覚なまま。
でも、自分と夏油がどんなに親しくても別個の人格なのだと気がついてしまった。夏油出奔によってモラトリアムの思春期が終了し、大人の振りができるようになった。なってしまった。

一見して教師にあるまじきちゃらんぽらんでめちゃくちゃで、学生時代から今に至るまで人型の災害みたいな五条が、最低限の超えてはいけない一線をわきまえているのは皮肉なものだ。
でも、夏油は真面目すぎて自家中毒を起こしてしまったから、それくらいがちょうどよかったのかもしれない。

いちばん最初に五条悟に枷を嵌めて人の形に押し込めたのは、はてさて誰なんでしょうね。

※※追記※※
五条の善悪の判断については以下のnoteに改めて詳しく書きました。

善悪の指針を失っても、夏油から学んだ通りをなぞって人の振りを続けている。むしろ他人にべったり依存していたのをやめた分、かえって成長したようにさえ見えている。
本質は何にも変わっていないけど。後悔だけは覚えたのでしょう。


②六眼について

六眼は呪力がものすごく詳細に見える眼ということで、目元を隠すのは「見えすぎるから」という理由なのはだいたい推測通りだったなと。

五条悟は「六眼と引き換えに通常の視力が弱い」説を唱えていたけど、この点に関しては「通常の視力も損なわれていない」ということで確定のようですね。
むしろ通常の視力が健在なせいで、六眼によって得られる情報が過多になって混乱してしまっているように見える。それで、サングラスや目隠しで通常の視界を抑えていると見るべきかもしれない。疲れやすくなると書いてあったし、見えすぎる弊害もまた大きい。
常に六眼でのみ世界を観測しているということは、もしかしたら色の判別は苦手なのかもしれない。

だから、やっぱり通常の視力でものを見ていないということにはなるのだろう。
というか、「疲れやすくなる」との理由から目隠しで通常の視力による視界をシャットアウトしているということは、すなわち六眼という特異体質は常時発動型でオンオフスイッチがなく、自らの意思でコントロールできない(勝手に見せてくる)ということになる。
自分でコントロールできるのが通常の視野の方になるから、そっちをシャットアウトするしかない。

あまりにもよく見える六眼が何でも見せてくれるせいで何でも見えた気でいたんだろうな、という推測が確信に変わりましたね。強すぎる力が逆に目を曇らせていたように。
これが夏油の疲弊に気づかなかった理由の一端でもあるのだろう。常に六眼でのみ世界を観測する五条には、夏油の表情が見えないから。

表情が全く分からないわけではないと思う。
表情は学習の産物で、幼少期はサングラスなしだったので、その頃に表情を学習したのだろう。でも、六眼が見せる詳細な呪力の流れの方が相手の感情を推察する精度が高く、五条悟自身の心が鈍いのと相まって「じゃあ六眼だけでいいや」となってしまったのではないかと。
だから、心の機微を察する能力が未発達なままなのだと思う。

でも優秀な呪術師なら感情に左右されずに呪力をコントロールできるし、それを知らないわけでもなかったのに、相手の表情なんか見えなくても大丈夫だと判断した。
夏油が痩せたことに気がついても、「心因性のストレスで痩せることがある」とは思い至らなくて、根本的に五条は他人への興味が薄い。
「自分なら大丈夫だから夏油も大丈夫」みたいな判断で、痩せた夏油を心配することはなかった。それは信頼と呼べるかもしれないけれど、根本にあるのは相手を理解した上での信頼というより、自他の境界が曖昧で相手を自分と同一視しているような不健全さに由来するのではないかと思っている。

以前こう書いたが、ここで正解を示されるとは思わなかったですね。
ずっとサングラスをかけて久しぶりに外したら視界が眩しすぎてよく見えないはずなのに、その状態で五条が新宿の雑踏からたった一人を探し出そうとするのは非効率的だ。
たぶんとても動揺していたのだろう、六眼に見通せないものがあったことに。


③夏油について

夏油のストレス源に関する情報、すごく納得感がありました。
ストレス源が非術師ではなく、しかし非術師が嫌いと自分に言い聞かせていたということは、大いなる自己欺瞞だ。そうやって自分は正しいと言い聞かせながらも本当はそうではないと理解しているように見える。
でももう自力では立ち止まれないから、救われたいと思っていないくせに誰かに止めてほしいと思っていたような。
夏油のストレス源が呪霊を取り込むことなら、そちらに対処すべきだったのだ。自分の持って生まれた術式に不満があるのは冥冥も同じ。だからこそ短絡的な手段に飛びついてしまうほど精神的に追い詰められていたことの悲惨さが際立つ。

それから、離脱後はなるべく非術師が関わらない範囲で生活していたという点。これは過去編の「呪詛師に農家が務まるかよ」と対応している。
以前にも書いたが、非術師を排除してしまったら、あらゆる職業に術師が就かなければならない。その最たるものが第一次産業、すなわち農業だ。
ほぼ間違いなく家庭菜園しているねこれは。さすがに袈裟は脱ぐよね。

衣食住を非術師に頼らないことを他の「家族」に強要しなかったのはとても中途半端だと思う。いずれ非術師を皆殺しにするつもりだったのに妥協なのか、それとも非術師がいなくなった先を予想できていなかったのか。本当は実現できないと心の奥底では思っていたのではないかとすら思えてくる。
真に術師のみで社会運営を実現したいなら、修道院みたいなところを作って自給自足しなければならないのに、文明を捨てた生活をしていない。中途半端にもほどがある。非術師を殺し尽くすと、両親さえ手にかけて覚悟を決めたはずなのに。同志の意思を尊重するようでいて、信用していないみたいだ。
ミミナナには寂しさがあったはずだ。ずっと心の一部がたった一人の親友・五条悟に囚われたまま誰にも座らせない、父とも兄ともつかない夏油がそうやって自分たちの意思を尊重してくれているようでいて、その実、一線を引いていることに。

結局のところ、夏油は自分の倫理観を捨て去ることはできなかったのかもしれない。行き着く先までひた走ることしかできなくなってしまったから、心のどこかでは終焉を待ち望んでいたのかもしれない。


④五条の趣味について

特になし、ということはつまり、映画も別に趣味ではないということですね。何にも執着しないところがあるから、無趣味なのも当然。
虎杖に渡した映画のラインナップが古いという話も見かけて、映画を見ることが好きなのではなく、夏油と映画を見ることが楽しかったのだな、と。
(具体的な描写はないけど、虎杖に渡した映画をしっかり見ていたのは明らかなので、高専時代に夏油と見ていた可能性はとても高い)

そうなると、デジモンはいったいどこで知ったのだろうか。
実家で親族の目を盗んで初代デジモンを見る五条悟(齢一桁)を想像していたけど、「お前そんなことも知らないのか」と呆れられながら夏油に「ぼくらのウォーゲーム」を履修させられる五条悟(十代半ば)の可能性が俄然高まってきましたね。
後者の場合、デジモンが好きなのは夏油ということになる。夏油の好きなものを元来無趣味だった五条が好きになって、そのまま時を止めている。つまるところ、五条の知る娯楽はすべて青春の傷跡なのだ。

「過去のすべてがこの身を成し、この身が未来を作り出す」と別ジャンルの本に書いたことがある。
記憶力がよければよいほどに過去から逃れることはできず、他者と関わって他者からの影響と無縁ではいられず、変化しない生き物などいない。社会性であるならば。

五条があんなに虎杖のために映画のラインナップを揃えていた――つまり、過去に大量に映画を見ていたのに、ぱったりと映画鑑賞をやめてしまったのは、人の本質を変えるのはとても困難ということなのだろう。
青春は人生においてとりわけ輝かしく影響力の強い時期ではあっても、それがすべてではない。その後の人生の方がはるかに長くて、青春なんて瞬きの内に過ぎ去る輝きだ。
けれど、その影響は一生残る。

五条は映画鑑賞を趣味にすることはなかった。でも、見た映画のことは忘れなかった。無機質な機構じみた本質は一切変わらず、けれども思い出を消してしまうこともない。
五条は夏油の残していったものを捨てないでいる。完治してなお消えない傷跡をなぞって、壊れてもなお色褪せない永遠として大事に抱えているみたいに。


⑤狗巻家について

狗巻家が呪術師の家系としては異端で、呪術師の血を絶やそうとしているという設定は意外でしたね。
ということは、血を絶やそうとしているところへ呪言師の才能あふれる子どもが産まれてしまったことになる。

棘は誕生を祝福されないわけではないけれども、制御できない術式が何かを引き起こすたび、禪院家とは正反対に「術式を継がなければ…」って言われていただろう。
親から愛されなかったわけではない。呪術師から遠ざかろうとしているのだから、我が子への愛はごく普通の家庭のようにあっただろう。だから、棘も喋れない割には明るい性格をしている。
0巻でパンダが言った「呪術師にしては珍しいネアカ」というのも、そういう家庭環境に由来しているのだと思う。

たぶん、狗巻家が術式の血を絶やそうとしているのは、他の術式と一線を画する影響範囲の大きさと日常生活への支障の大きさからなのだろう。話すこともままならない棘を見れば一目瞭然だ。
本来ならおしゃべりなはずの棘が不自由しているのを両親は不憫に思っているのかもしれない。でも、日常生活もままならない呪言師として生まれついてしまったからには、訓練して制御する方法を身につけなければならない。

これは、ほとんど呪術師が生まれなくなった頃にぽろっと術式持ちの子どもが産まれた場合が悲惨だ。高専と遠ざかってしまって、親類縁者が呪術師という存在を忘れかけていたら、生まれた子どもに自衛の手段すら教えてやれない。
それとも高専から監視がついたりするのかな。万年人手不足だけど。

五条家当主で六眼・無下限呪術コンプリートのくせに結婚するつもりのなさそうな五条悟も、狗巻家みたいになりたいのだろうか。
先天的なものは変えられないから、伏黒も五条も加茂も、真希真依も、みんなこれに振り回されている。いやはや、まさに血は呪いですね。


⑥御三家について

相伝の術式が複数あるのは禪院だけで、強い術式を持った術師を婚姻関係で取り込んできた感じかなって思ってたら、まさにそう書いてあった。
より強い術式を持つ者が当主になる実力主義の禪院家、伝統と格式と血統(嫡流)を重視する加茂家、強大な術式である無下限呪術と特異体質・六眼を待ちわびる五条家。
設定をうまく小出ししてきたんだなって思いました。だいたい予想通りです。

そうなると、禪院家相伝の術式にはランク付けが発生する。六眼・無下限呪術と張り合って相打ちに持ち込んだのが十種影法術なので、これが最高ランクなのでは?と思っているけど、そうでなかったとしてもかなり高ランクだろう。
これが傍流というか、出奔した甚爾の子どもに発現したのは悲劇と言うほかない。きちんと本家に産まれていれば、そういう価値観で生きていられる方が幸せだったかもしれない。そう考えたから、甚爾も恵を本家へやろうとしたのだろうけど。
家を出た甚爾だって、禪院家の価値観からは逃れられなかった。「術師にあらずんば人にあらず」という価値観は、実家の外では全く無価値なのに。強靱すぎる肉体を持つ甚爾ならば、いくらでもやりようはあったのに。

五条家に関して言えば、とてつもなく不安定そうだなと。六眼の発現率はかなり低そうだし、無下限呪術だって必ずしも発現するわけではないだろう。やっぱり一夫多妻制を取っているのか、それとも術式持ちがいなかった場合の保険があるのか。
六眼なしの無下限呪術持ちよりも、六眼のみの術式なしの方がより悲惨そう。

血統(嫡流)にこだわる加茂家が、それとは裏腹に側室制度を残しているのはなかなかのダブルスタンダードですね。正室が術式を継いだ子を産めなかった場合に備えた側室制度なのに、側室自身は差別される。
長年そんな感じでやってきて、完全に時代に取り残されている。五条が毛嫌いする因習そのものって感じ。たぶんうまくやれば加茂憲紀も仲間に加えられそう。


⑦高専について

御三家以外の術式持ちの子どもを呪術師に育成する目的で設立されたということは、当初は御三家と仲が悪かったのではないだろうか。

入学理由に「家系」が存在するように、御三家以外の呪術師の家系が御三家に対抗するために学校設立に関わった線もありそう。
御三家は自分の家の中で教育を完結できるから、わざわざ高専に行く必要もない。高専の定めた等級分けも関係ない。祓霊の依頼の受け方もたぶん違うのだろう。
ということはやはり、五条悟の高専入学はモラトリアムそのものだ。実家から逃れられる唯一の手段だったはずだ。

長い歴史を御三家といがみ合ったり協力したりして、今日まで歩んできたのではないかと思う。
明言されなかったが、御三家は始祖の出身から見てみんな京都にありそう。それで、京都校に影響が強くて楽巌寺学長が保守派なのではないだろうか。
楽巌寺学長(保守派)が加茂家と仲がいいというのを考えると、加茂家が京都校に資金援助しているとか。

シン・陰流がちょくちょく高専にいることが不思議だったのだが、あれは術式を持たないが呪霊の見えるような人に自衛の手段を与えるためだったのだろう。
というわけで、めんどくさがりで術式も持っていないくせに一級になってしまった日下部さんの今後に期待しています。

あと地獄を食って生きてるので、伊地知が心折れて呪術師から補助監督に転身した時の話が見たいです。見たい!です!!!


⑧天元様について

五条悟はノブレス・オブリージュのごとく他者(弱者)への奉仕を求められると以前書いたけど、これを極めた先例として既に天元様がいたことをすっかり忘れていた。
天元は植物みたいなものだと言われており、まさしくシステムだ。そこにあるのが当たり前で、本人に意思もなく、ただ役割に殉じるのみ。
自意識や人格が消滅し、日本を守護するシステムと化したあれが行き着く先なのだとしたらなかなかですね。

人間時代というか、最初の肉体を持っていた頃の天元がいつの生まれかよくわからないが、平安以前な気がする。というより、宿儺より先なのでは?と。天元についての話は本編でやらなさそうだな…。

不死と言えば、裏梅が呪詛師であることが明言されたので、お前は一体どうやって今まで生きていたんだ…?みたいな疑問が生じたり。今後明かされるのでしょうけど。
宿儺すら肉体的には一度死を迎えているのに、裏梅はずっと同じ身体で生きていたのでしょうかね。


ところでツイートを一太郎に保存しているのですが、呪術廻戦のツイートだけで2万字超なのでちょっとやべえなと我ながら思っています。止まりませんけど。そのうち本2冊目を出しそう。
下書き状態で甚爾の話と七海の話が止まっているので、そのうち書き上げたい。

6/7追記
大幅加筆、再構成して本にしました。6月エアブーで出ます。
前回と同じくBOOTHでの通販のみです。
『瞳の奥に眠らせて』/文庫/84p


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