今週の出来事(7/27~8/2)

Thought and Trip [Week 22.]

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今週の出来事を書いていきます。


7月27日(月曜)

今日は後半から調子悪くなった。

人は身体の変化と文脈を結びつけて情動を生み出す。

文脈ミス。


7月28日(火曜)

所属という概念の罠に気づく。

いろいろ言い方を変えても結局は囲い込みビジネス。


7月29日(水曜)

自分の生きている世界は何なのか?

個別性とはキャンパスに枠を描くことではない。

キャンパスに穴を空けてキャンパスの色と自分の色を混ぜ合わせて塗り替えるんだ。


7月30日(木曜)

あらゆる物質には文脈がある。

文脈は物質空間と抽象世界をつなげる余白。

余白によりあらゆる次元をつなげていく。

「道」は空間を分断するものではなく、空間同士をつなげるもの。

もはや所属の概念なんてダサい時代がきている。


7月31日(金曜)

自己と社会の境界線はどこにあるのか?

豚の体内で育てられた臓器を移植して生きる。

自分の細胞で作られたカバンにスマホを入れる。

没入感のある体験は現実を構成するのか。

それは今の社会ではわからない。


8月1日(土曜)

思考的身体性という概念を思いついた。

人は物質的身体性、文脈的身体性それぞれでつながりを感じている。

客観的に認識しやすいのは物質的身体性。

なのでコロナでつながりを失ったと認識している。


しかし、人は物質的な身体変化と文脈により情動を生み出し思考する。
そして、自らの思考の上で世界を認識する。

つまり思考とは、その人の個別性を意味する。

全く同じ思考は存在し得ない。だからつながれる。


思考的身体性とは、その人の思考が存在することを認識すること。

相手の思考の存在を認識することで人は身体性を感じるのでは?という仮説。


物質的身体性を追求した結果、人は思考的身体性を感じにくくなっていた。

コロナによって、それが認識できるようになったのかもしれない。


8月2日(日曜)

気づいたら8月がはじまっていた。

どんなに分かりやすく解説してある文章よりも、

しょうもなさとうつくしさが複雑に溶け合ったマンガの方が心に残る。

単なる物質ではなく、文脈的に影響を受けた思考的身体性でつながっている。



振り返り

今週は思考的身体性という概念を思いつくための1週間だったのかもしれないです。

コロナで移動ができない、オンラインでは満足できない。

つながりを失った。

物質的なつながりしか認識していなかった僕らでは、そう感じるのも仕方がない。


思考は感情からはじまる。

感情は文脈と身体的変化で生み出される。


思考のつながりを認識できるようになった時、次元が変わる。

気がする。



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