飽きないことで脳は学習し、飽きることで脳は学習を止める

リハにおいて、いつも同じルーティンのプランを実施し続けているセラピストっています。

そして同じ内容のリハはそれを実施しているセラピストも、そのリハを受けている相手も飽きている可能性があります。

お互いが飽きてしまっているリハに意味はあるのでしょうか?

そもそもリハの目的は「出来ない事を出来るようにする」「今の方法とは違う、より質の良い方法を身に付ける事」です。

つまり動作の学習です。

運動学習の観点からすると、飽きたところから次の展開は広がりません。

脳は刺激に対して適応しようとする反面、可能な限り認知的負担を軽減する方向に働こうとします。

つまり、出来るだけパターン化し予測可能な状態に留まろうとするので、可能な限りパターン化しにくく、予測困難な状況を設定し続ける事が重要になります。

このように、飽きが生じた時点で脳は活性化されずパターン化し効率化を図ろうとするため、新たな能力の形成は起きにくくなります。

赤ちゃんは興味あることを徹底的にやり、飽きたら全くやらなくなり、別の興味ある事に集中し、また飽きたらやらなくなり…を繰り返します。

その繰り返しの中で脳が活性化し、様々な事を学習していきます。

子供は飽きっぽいのを隠そうとせず、堂々と飽きて別の事をします。

大人はなまじ我慢強いために飽きてるにもかかわらず同じことを続けてしまいます。

結果的に学習が進まず、動作のパターン化、効率化が進んでしまいます。

リハに関して言えば、飽きが生じた場面になった時、そういう時は一旦立ち止まり、思考の隙間を開き、その隙間から新たなルートを開くという作業が必要になります。

立ち上がり動作ひとつとっても、いつも同じ高さの椅子で練習するのではなく、毎回高さを変える、場所を変える、ゆっくり、速くといった風に立つスピードを変える、まっすぐ立つ、捻って立つなどなど。

様々なバリエーションを駆使して飽きないように設定します。

このように、いつもと違う動き、いつもと違う道、場所、わざと非効率に動いてみる、新しい活動をするなど…と脳に刺激を与えることで、予測困難、パターン化困難な状況を設定する事で新たな能力の形成へと展開します。

「飽きさせない」とはありきたりな言葉ですが非常に重要な要素です。

大人相手にリハだからこそ飽きないような設定を常に提示する。

飽きたと感じたら意図的に違うことをする。

臨床では常に心掛けたいところですね。

お読みいただきありがとうございました。

因みに以下の書籍を参考にしています。

ご興味あれば。


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