マガジンのカバー画像

選抜小説

10
始めましての方はこちらから。プレビュー数の多かった小説まとめです。
運営しているクリエイター

記事一覧

まるでタンポポの綿毛のような③【最終話】

 人は人生のうちで、何度セックスをするだろう。そんなことを考えていたら、トイレに立ったケンイチさんがあっという間に席に戻ってきた。グラスがもうすぐ空きそうだから、もう一杯ハイボールを頼んでおこうと思ったのに。気の利く女子を演出したいという私の気持ちは、儚くも無残に砕け散り、私はせめてと笑顔を作る。「何飲みますか?」そう言いながらメニューを渡すと、彼は「いや」と小さく言い淀んでから、私を見た。 「そろそろ、行きましょうか」  店員さんに会計をお願いするケンイチさんの姿を見ている

まるでタンポポの綿毛のような②

 スマホを睨み続けて、恐らくもう一時間近く経つ。短い文章を打っては消し、打っては消し。そんなことを繰り返している私は、一体何がしたいのか、自分にだってよくわからない。  ケンイチさんのIDを検索して、フレンド登録した。だから相手にも、もう私の連絡先はわかっているはずだし、私が連絡を取ってもいいと思っていることだって伝わっているはず。  昨夜はありがとうございましたとか、楽しかったですとか、ご迷惑をおかけしましたとか、当たり障りのないことだけ送って、あとは相手の出方を待てばいい

まるでタンポポの綿毛のような①

 昨晩空いたばかりの穴が、今もまだ疼いていた。彼の手の動きと視線を思い出しながら、ひたすら妄想に耽ってみるけれど、やっぱり心が満たされるなんてことはなくて、ただ自分の膣だけが満足したと嘲笑っている。  今まで経験したことのないような、開放的なセックスがしたい。そう思い立っては、色々な人と体を重ねてきた。インターネットを通じて知り合ったり、適当なバーでナンパされてみたり、知人に誘われ合コンに顔を出してみたり、出会う方法はさまざまだったけれど、結局結果は同じで、いつも羞恥心が邪魔

みらいが呼んでる③【最終話】

 腕の中でぐずぐずとうごめいていたみらいが、ようやく静かな寝息を立て始めたとき、ガチャンと盛大な音がした。驚いたのか、目を覚ましたみらいがぎゃーと泣き出す。疲れた顔の和之は雨でびしょびしょに濡れた鞄を放り出し、ソファに座ると、雨でびしょびしょに濡れた肩をはらった。 「何、みらい起きてるの?」 「うん、ちょうど寝そうだったんだけどね」  嫌味を込めて言ったのに和之には全く伝わらなかったようで、テレビのリモコンを取ると、音量を上げる。 「夕飯は?」 「あー、できてはいるよ。野菜炒

みらいが呼んでる②

 美香に謝り、なんとか締め切りを1週間のばしてもらうと、私は泣き叫ぶみらいを押さえつけながら、みらいの鼻に口をつけて鼻水を吸い出した。ここ数日で幾分か手馴れたそれは、けれど私の免疫をダイレクトに刺激し、今度は私が風邪をもらってしまった。だからと言って、ゆっくり寝かせてもらえるほど母親と言うのは甘くなく、熱で朦朧とする身体をひきずりながらみらいにおっぱいを咥えさせる。満足げにおっぱいを飲んでいたみらいは、げほっとむせてミルクを吐き出したのと同時に、大声で泣き出した。鼻が詰まって

みらいが呼んでる①

 妊娠中はあれだけかわいいと思っていたお腹の中の息子をかわいいと思えなくなったのは、たぶん、息子がお腹の中ではなくこの世に生まれてきたからだ。  おぎゃーと言う泣き声を聞いて、ほっと身体から力を抜く。無事息子が生まれてきてくれた感動よりも、これでつわりからも陣痛からも解放されるという安堵感のほうが強かった。切開した股から流れる暖かい血液は不愉快だったし、夜通し陣痛が続いたせいで寝不足もピークで、息子がどんな顔をしているかよりも、締め切りを間近に残した仕事のほうが気になった。実

付属品、あるいは装飾品①

 亮介が結婚すると知ったのは、たまたま開いたFacebookでだった。  今日も口うるさい部長はいつもと変わらず口うるさく、いやいつも以上に絶好調で口うるさく、私は残業を余儀なくされたし今週も休日出勤が決まった。広告代理店の営業に休みという文字はないらしい。  ついこの間桜が開花し、やっと春が顔を出したと思ったら、もう日中は蒸し暑いくらいだ。冬がくる前は、極寒の毎日が待っていると思うと気が滅入ったが、次はうだるような夏の暑さが待っているというんだから気が滅入る。四季は日本が誇

付属品、あるいは装飾品②

 家に帰ると、純也はいつもと変わらずそこにいた。ただいま、と声をかけてもPCを見たまま顔さえ上げず、特に返事を期待していたわけでもなかったけれど、ため息が出た。純也が脱ぎ捨てた靴下と寝巻きを洗濯機に放り込み、ついでにシャワーを浴びて、バスタオルと自分が着ていた洋服をまとめて洗濯機にかける。 「どこ行ってたの?」  タオルで髪を拭きながら冷蔵庫からビールを取り出したところで、純也がそう言った。驚いて顔をあげると、純也はPCではなく私を見ていた。久しぶりに正面から純也の顔を見ても

付属品、あるいは装飾品③【最終話】

 そういうことを終えると、亮介はホテルの安い洗剤の匂いがするベッドで寝始めた。「俺は泊まっていくからお前は好きにして」と、言われて私は途方に暮れる。何度となく繰り返してきた行為ではあるけれど、もっと神聖で儚いものを共有していた気になっていた私は、そんなもの現実には存在しないと思い知らされたような気がして目が冴えてしまった。素早く下着だけを身につけると、安い消臭スプレーの匂いがするソファに座って携帯を開く。  溜まっていた仕事のメールを適当に返した後、どうしてそんな気分になった

最後の恋を始めよう

「最初はね、顔がタイプだなーっていうのと、話し方がね、なんか落ち着いていていいなって思ったの。私と同じで婚活中だって言うし、付き合うまでいかなくてもね、なんか仲良くできたらいいなぁみたいな、その程度の気持ちだったんだけど、話してみたら、すっごくすっごくいい人で。趣味は読書と映画鑑賞ってインドアなところも私と合うし、O型で長男でね、ほら、私もO型で長女だからね、境遇が似てるっていうか、色々わかってもらえて。仕事はシステムエンジニアなんだって。エンジニアって理系で話しにくいイメー