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2013年アナトリア南東部旅行の記録(3): ウルファ

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ウルファ(Urfa)へ

2013年8月10日。ディヤルバクルを出発して、西へ。ウルファ(またの名を、シャンルウルファ)へ向かいます。

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都市間の移動はもうすっかり慣れたもの。意気揚々とバスの切符を購入します。ウルファに行くのも、楽しみにしていました。

2004年に短期留学していたとき、たまたま語学学校で使っていた教科書にウルファのことが出てきて、そこでの伝統的な市場の雰囲気や旅愁あふれるご当地の歌などを聴く機会があって、どんなところか直接見てみたい街の一つだったのです。

(上記リンクはYoutube Musicに登録されている曲で、Urfa'nın etrafıという曲。イブラヒム・タトゥルセスというトルコでは超有名な歌手が歌っているバージョンです。彼の唄ではなかったですが、別の方が歌っていたこの曲を当時授業で聞いて、私はしびれてしまったというわけですね)

直接見てみたかったと当たり前のことをどの記事でも連呼していますが、当時の自分にとって、アナトリア南東部はちょっと怖い(治安等の意味で)、しかし一度直にこの目で見てみたい地域だったといえます。

そんなこんなで、午前中にディヤルバクルを出発。2時間くらいだったと記憶しています。道中の道路も飽きずに眺めながら、また隣に座った若い人と談笑しながら。

(ちなみにこの方、実はとんでもない警察の偉い人だというのを手帳見せてもらって理解しました。道理で、周りの人がなんとなく緊張していたわけです…今思えば、ですけどね。もちろん)

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道路の整備されているのが、本当に意外でした。もっともっと、荒れているイメージを勝手にしていたので。やはり南東部のインフラがある程度充実していないといけないということはあったのだと思います。

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ウルファが近づいてくるのは、こういう住宅街が見えてくるとわかります。ということで、無事ウルファに到着。

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さすが、バスターミナルはディヤルバクルもウルファもきれいだなと思いながら、いよいよ街へ出ます。この旅行でも、できるだけタクシーには頼らず、公共機関で移動することを心がけていました。

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当時のバスターミナルの外観です。大きいなと感心しながら、バスに乗って市内中心部へ。

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想像以上に道路が舗装されていたのがまず驚きでした。思った以上にきれいだ…

先日までのディヤルバクルの旧市街に目が慣れかけていたので、ウルファの市街地の雰囲気には少なからず驚きましたが、南東部投資プロジェクトのようなものは当時あって、ここウルファはだいぶその恩恵を受けているのかもな、と想像しました。

見たいところいろいろ

宿について、とりあえず市街地を散策。写真に直接撮りたいところがいくつもありました。ただ、観光名所のほとんどが公園の敷地内に集中してもいましたからその点は楽でよかった。

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香辛料専門の店です。いいでしょ?こういうの。

日本ではなかなか見られない光景です。イスタンブルのバザールにももちろんこういったお店がたくさんありますが、ウルファや南東部各都市のバザール もまた味があります。

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シリアからの難民支援に関するチャリティ活動だったと記憶しています。この時期からすでにシリア難民はトルコでも社会問題になりつつあったと思います。実際、現地の人と少し世間話などしていたときに、彼らだけが政府からサポートを受けていて、平等じゃないと思うといったことを話してくれた人もいました。

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聖なる魚の池です。これだ、留学時のトルコ語の教科書にのっていたやつ!

余談ですが、もし私が今後日本でトルコ語の語学書を書くということになったら、こういう南東部の風景もぜったい使いたいなと思いますよね。

だいたいの語学テキストはイスタンブルの風景だけで事足りてしまうのですが、イスタンブルだけがトルコじゃないんです。これは比較的声を大にして言っておきたいな。

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公園から、ウルファ城を見上げます。城はいいものだ。日本でもいるでしょ、城マニアの人たち。気持ち、ちょっとわかるもんな。

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おお!これがウルファの景色か

という感激はありました。家が白い!アンカラとかと違う!!

写真の片隅に人が写っていますが、明らかにこちらに話しかけたくてうずうずしており、この後いろいろ聞かれてしまいました。トルコ語がわかると知ると喜ばれてしまうんですね…それをひっそり聞いていて、次々に人がよってくるということがこういう地方都市ではほんとによくあります。

実際ラマザン(断食月)明けということでトルコ国内の観光客も多くて、やはり南東部を一人旅する日本人ということで、偶然休日だった若い兵隊さんたちにも話しかけられたり、いっしょに写真を撮ってくれと言われたりなどしていました。

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ワイと一緒に写ってなにが楽しいんだろうな…?とは思うのですが、だけど、それもひょっとすると、観光客とは縁のない地方からここに兵役でやってきた人の、休日のちょっとした思い出の一つになったということもあるのかもしれません。日本人とオレは一緒に写真撮ったんだ、とか言ってね…わかりませんけど。

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ウルファのねこちゃんたちも、もちろんかわいかった…ねこ天国なのは、イスタンブルだけじゃないんだよ、の証拠ですね。

ウルファ市内はもう、市場と聖なる魚の池、そしてこの上からの景色をみられただけで幸せだと思いました。そう、ごはんに当たって翌日お腹を壊すまではね…

ウルファ市内編、ご覧いただきありがとうございました。次回はウルファ郊外のギョべクリテぺとハッランに行った時の写真と思い出を書きます。また、ウルファ市内の写真などをもう少しご覧になりたい方は投げ銭をぜひ。ひとまずここまでお読みくださり、ありがとうございます。続編にどうぞご期待を!

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