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「専攻語ガチャ」の話

いろいろなところで書いた話ではありますが、私にとってトルコ語は実は高校卒業してからやってみたい言語の「本命」ではありませんでした。どちらかというと、「対抗(馬)」という位置づけだったような。

トルコ語というよりも、トルコで使用されていると言われていた非テュルク系の少数言語に興味があって、とりわけその中でクルド語に一番関心があったはずです。ただ、どうも当時大学でクルド語そのものが勉強できる場所というのはなさそうだということになって、それなら地域的にも、今後アプローチする際にもトルコ語は必要になるだろうし、なんならトルコ語も使えたらなにかとカッコいいよね…などといったことを考えていたはずです。

かようにして1996年、トルコ語専攻の門を叩いた次第でありましたが、当時のトルコ語専攻はいろいろな点でたいへんおおらかな学科であった…という内容の話もこれまで何度となく書いてきました。

とりあえず自分にとっては居心地のよい場所だという認識はあったと思います。トルコ語じたいもなんだかんだとモチベーションは上がりましたし、そこから大学院に進学して修士論文を書くあたりでは、これはもうしばらくはトルコ語一本で行ったほうがいいな、という決断をしていました。

こういう環境にしろ専攻する内容にしろ、運のような要素というものはつくづく大きいような気がします。うまくはまれれば御の字、というか。はまらなくても、なんとかはまるような努力も必要なのでしょうけどね。

もちろんトルコ語そのものに苦労しなかったわけではないのですが(現に今も苦労してますし)、少なくとも学部、院にかけて、「ハマる」ことはできたのではないかなと思います。楽しいと思えましたからね。

さて、その外大にはもちろんトルコ語以外にも多くの専攻語がありました。当時の学生どうしで、専攻語が異なる学生どうしでよく話題にあがっていたことの一つが、「どの専攻語が楽か」。あるいはその逆ベクトルで、「いかに自分たちの専攻語が厳しい(または、理不尽)か」という話。

他愛もないと言えば他愛もないことだ、というのは卒業してしまったから言えることなのかもしれませんが、学生というものはまあ好きなことをいうものだということはいつの時代も変わらないということなのでしょう。

当時の大阪外大では進級が難しい・厳しいとされていた専攻語があって、先輩諸氏から伝え聞いた、いくぶん自虐的な言葉はいまだに覚えています。

いやほんとに、各方面から怒られそうですが。(念のため書いておきますが、私が言うたんとちゃいますからね…当時から言われてた他愛もない話です。私はそれをそのまま書いただけ…)そうかあ、アラビア語とかロシア語って厳しいんだな…と思う一方、進級が大変だった同期各位は、語学として専攻語を勉強するモチベーションを維持するのが大変だったということもあるのかもしれないなとも思います。

あるいは、教員との相性という要素もあったかもしれませんし。ここも地味に大きいファクターなのだろうと思います。
万人に愛される語学講師などいませんからね…。これはもう自信をもって断言できます(自分に跳ね返ってきそうな発言ですが、そうなんだから仕方ないネ!)

なんせ言語でもその地域でもいいのですが、興味が出ないと語学って本当に苦痛でしかないと思うのですよね。黒田龍之助氏の言葉を借りれば、「そもそも不自然なことをしている」(すみません、出典は忘れましたが)ともいえるわけです。その言語を使わなくてもいい環境にいるのに、あえてそれをやろうとしているという意味で。

それに抗い続けるという点で語学というものは改めて大変だと思えるよねえという話、なぜ今さらと思われるでしょうが、それはもうもちろん今自分が新しく別言語の語学にとりかかりはじめたからです。

昨日ペルシア語版『星の王子さま』を落手した話を書きましたが、そういう勢いというものは大事にしたい…ということで、昨晩は久しぶりにペルシア語の手書き用ノートを開いたのでありました。

点の位置を間違ったり(いまだにجとخとか、بとنなどを間違うあたり、全然勉強時間が足りてないわけですが)、「ソクーン」という補助記号を「学生」という単語の中に見つけてあれ?なんだこの記号知らねー、と一人で勝手にキレてみたりと、大人とはなんぞやを体現した次第でしたが(なお、ちゃんと『ニューエク』の最初のほうに説明が書いてありました)。

ところで、これって今趣味を兼ねた位置づけでやってるからまだいいけど、もし自分が…とふと考えます。外大に入る前にペルシア語に興味をもってしまっていたとしたら、トルコ語を選んだようなモチベーションでうまく進級、卒業できていただろうかと。まして、進学まで考えたかどうか。

自信ないなあ…とたどたどしいペルシア文字で、今行きたい都市ベスト3に入るاصفهان (Esfahān)の/h/の部分がうまく書けずに自己嫌悪にも陥りつつ、思いを馳せるのでありました。
ましてこれが、その「灼熱のアラビア」だったとしたら…?どうだったでしょう。モチベーションの高さでなんとか乗り切る…のかなあ。

というわけで(なにが「というわけで」かはわからんけどさ)。
その専攻語に出会ってしまった、すべての学習者に祝福あれかし。あきらめて別の道(言語)を探すもよし、踏ん張って続けてみるもよし。もしあなたが「何か楽しい別の言語ありませんかね?」と相談してきてくださればもう。私は満面の笑みで貴方を迎え入れ、こう言うことでしょう。「トルコ語が面白かけんオススメのごたっですけどね?」と。

一人全裸アドヴェンターは、最後まで完走するしかなさそうです。後には引けぬ闘いであります。Ölmek var, dönmek yok.

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