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語学を始めるきっかけが清らかでカッコいい必要はないよね、という話

ツイッターで関わりのあるちぬさんもnoteをやっていることがわかり、ドイツ語あたりの面白い話が一つや二つは必ずあるだろうと思っていたら、こんな記事を書いてらしたので読みました。

やっぱ、人の外国語エピソードはおもしろいな。

で、なぜか私たちは英語以外の外国語、特にそれほど「メジャー」な扱いをされない言語に対しては特にそうなんですが、そういう言語を語学としてやっている人に聞きたくなってしまいます。「なぜその言語に興味を持ったの?」または、「なぜその言語を始めたの?」(この2つの質問は実は質が違うということに書いてて気付きましたがさておき)と。

で、ちぬ氏は実に赤裸々にと言うか、正直にその辺のことを書いてらっしゃる。こういう率直に、かっこいい側面ばかりじゃないということを言えてしまう人は信用できます(まだ信用するとは言っていないけどね!ガハハ!)。

私のトルコ語やアゼルバイジャン語も似たようなものです。一応建前としての「なぜトルコ語」「なぜアゼルバイジャン語」というのは、お仕事用に事前に用意したりはするんですけど、自分個人のことでいえばもっともっと卑小なものだよな、と。

高校の時に「なにがなんでもトルコ語!」と言っていたのは、「だってトルコ語できる人そんな多そうじゃないし、目立てそうじゃない?」というものだったし(それが1990年代半ばごろのことであっても、とんでもない間違いだったということには大学に入って気づけたのでよかったですけどね)。アゼルバイジャン語を始めた理由も、まあトルコ語と似たような面がないかと言ったらウソになります。

もちろん、建前としてはね…アゼルバイジャン語に至っては先日の「バクー初訪問記」でも書きましたが、トルコ語とアゼルバイジャン語を比べたらきっと面白いなと思った、ということはありますけど。

(いちおうリンク貼っときますのでよかったらそちらも)

(全3回となっております)


バクーで出会った人たちにもう一度会いたいな(あわよくば接点を持ちたい)と思ったと言うのも相当大きいのです。後者の理由づけはきわめて個人的なもので、人が聞けばなんじゃそら、というものでしょうけど(実際近いところにそう言う話をしたらなんじゃそら、という顔をされた)。

きっかけはなんだっていいんです。実践的な問題としては、その後も勉強が続くかどうか、そのための新しいモチベーションをその都度見出していけるかどうか、ってことなんじゃないかな?ということです。

というわけで、ちぬ氏の記事を読んだ感想ついでに、私も記事をこうやって一つ、ということで。Görüşürüz!

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