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【テュル活】ダゲスタンに向かった「王子さま」のその後

趣味と実益を兼ねた、テュルク諸語版『星の王子さま』蒐集プロジェクトに取り掛かって、どれくらい経ったでしょうか。トルコに滞在していたころから、オスマン語、トルコ語、アゼルバイジャン語あたりの訳本は入手していましたが、それ以外のテュルク諸語に目が向いたのは日本に本帰国後のことでした。

以来、わりと真剣に集めてみました。その経緯は上記マガジンにもまとめてありますし、今年はじめの『言語学フェス2022』ではそれにまつわる話もしてみたところでした。

テュルク諸語版もその後さらに何冊か入手できまして、この記事を書いている時点では…

トルコ語(標準語)
トルコ語(突厥文字表記)
トルコ語(東トラキア方言)
トルコ語(デニズリ方言)
トルコ語(アンテプ方言)
トルコ語(キプロス方言)
トルコ語(オスマン語表記)
アゼルバイジャン語
カシュカイ語
ウズベク語
カラカルパク語
カザフ語
タタール語(カザン・タタール語)
キルギス語
カラチャイ・バルカル語
クムク語
カライム語
チュヴァシ語
サハ語

方言バリエーション版、文字表記のバリエーションも含めて、19点。まだ既刊のもので、入手したい言語も残ってはいるのですが、まあまあ蒐集という点では健闘しているほうではないかと思っています。


さて、以前も度々言及したのですが、この中でもっとも思い入れが深いものといえば、やはりクムク語しかありません。

「クムク語」、あまり聞きなれない名称かとも思うのですが、まごうことなきテュルク諸語の一種。北コーカサス、ダゲスタンに(推定)50万人弱ほどの話者がいるとされています。

そのクムク語に翻訳された本、通常の販売ルートでは入手が大変難しい(そもそも見つけられない)という事情があったのであきらめていたところだったのですが、とある方に「翻訳者に直接交渉したらよいのではないですか」と言われたのが転機でした。

幸い、SNSをやっていらっしゃる。まったく縁もゆかりもない方でしたが、ここで遠慮しては何も得られないということもあったので、ダメもとでフレンド申請をしましたら、OKをもらえてしまったというんですから(この辺の話は以前も書きましたので、下記リンクをぜひ!)

で、訳者の方にさすがに「譲ってください」というのは違うだろうと思ったわけです。購入したい、送金はするから送り先があれば教えてほしいとお伝えしました。ありがたいことにPaypalのアカウントをお持ちでしたから、支払いは実にスムーズにいきました。

昨年の半ば、例の戦争が本格化する前の時期だったことも幸いして、あちらから日本に本当に郵送してくださり、長崎で郵便を受け取れたときのあの喜びは忘れることができません。一テュル活民として、これ以上の幸せがどこにあるのか?案件でしょう。

購入したこと、それはそれとしてよかった。だけど、なんせこの貴重なるクムク語の作品です。トルコ語、アゼルバイジャン語の文献は多少手元にある私ではありましたが、クムク語のレアリアとしても初めて、かつ唯一無二の一冊という記念すべきもの。このことに対するお礼はすべきでありましょう。

そんなわけで、私自身が翻訳したわけでもなんでもないですが、クムク語訳をなさったその方も多言語の『星の王子さま』をコレクションとして蒐集していらっしゃるということを聴いていたので、「日本語版はお持ちですか」と聞いたのです。

そうしましたら、いや持っていない、あったらいいですねとおっしゃる。ならば、と申し出ました。差し支えなければ、日本語の翻訳版を送りますがご入用でしょうかと。

喜んで、とおっしゃってくださったので、昨年の10月末、長崎の中央郵便局に行きました。岩波、内藤濯訳のハードカバー版を、個人的にも思い入れのある例のメトロ書店で購入して、その足ですぐに徒歩2分の郵便局から送ったというわけです。

窓口の職員がどういうわけか、やたら面倒そうな表情だったのはよく覚えていまして、仏頂面で「ロシアが宛先だと到着に数か月かかりますけどいいですか?」と尋ねてくる。

今思えば、DHL等のほうが早いし確実ではないかという意味でそう尋ねたのかもと思うのですが、なにその職員のご機嫌がよろしくないことなど、この崇高なる(当社比)自分の目的を思えば大したことないと。何か月かかかってもいいから、確実に届いてさえくれればいいと。

そう願いながら、郵便局から送ってもらった次第でした。

で、11月、12月と時は過ぎていきます。12月にバクーにいたときも、そういえばマハチカラ(※ダゲスタンの首都)に送った日本語『星の王子さま』届いたっけな…と思って、追跡番号をネットで入力して確かめたこともありました。案の定届いておらず、なるほど郵便というものは、ロシアに入ってからが遠いのかもしれんなあと思ったことでした。

それから年が明けて2022年。2月末には例の戦争も始まってしまって、ツイッターでもどなたかが「昨年のX月にモスクワに送ったアレ、もうだめかもしれないな」という趣旨のことをツイートしているのも見ました。

そうかそういうものなのか、じゃあダゲスタン行きの小包もだめなのかもしれないなと少し諦め気味になったものです。実際今年の2月、3月あたりに始まって以降、今もテレビで目にする映像の衝撃はすさまじく、これほどのことになっているロシア、その国内の郵便事情というのはもう、小包一つがダゲスタンに届くどころの状態ではないのではないか、という気持ちにもなっていました。

その後、けっこう長い間その郵便のことが頭から消えていました。日本でのほほんと暮らす自分は3月の後半から例のご執心の「ダイエット」を始めましたし、4月の新年度からはトルコ語の仕事なども入ってきていましたし。

長らく消えていた記憶がふっとよみがえったのが、昨日。とあるテュルク諸語関係者の集まるオンライン会議に参加していて世間話になったとき、テュルク諸語…あっそういえば、クムク語…ダゲスタンのあれ、どうなったっけ?と思ったのです。

まあでもどうせだめだろうなと思ったのですが、一応また追跡番号を探して、届いてないことを確認してみようかと。実に何か月かぶりに、追跡番号を入力して照会してみました。

!!!
今年の5月5日に「お届け済み」になっているではありませんか!

すでに届いていたのだと知って、その瞬間どれほど歓喜したかを、どうかみなさまご想像いただきたい。10月22日に送ってから半年ほど。いや、どれだけ時間がかかったかなど、今となってはどうでもよきことです。

ご本人からは何も連絡はありません。それもそのはず、今あちらでは各種SNSが使用できないというニュースがありましたし、私とその訳者の方がつながっていたSNSは、まさにそのあちらで制限されていたサービスですから。

もしこういう状況でなければ、つまりあの戦争をやっている状態でなく、SNSも普通に使える状況であったなら、5月の頭ごろにきっと「届いた」という趣旨のご連絡をもらえていただろうと思うと、たしかにそれは残念でならないという気持ちは正直あります。

が、それもどうということはない。
こちらからのささやかな御礼があちらに間違いなく届いたということが追跡でわかったということ。自分にとってはそれこそがすべて、それが何よりの吉報です。

いつかまた、訳者の方と連絡を取れる日は来ると私は信じています。その時に改めて、自分にとって初めての「クムク語」を届けてくださった訳者の方に、御礼を伝えることができれば。

その日ができるだけ早くなることを願ってやみません。

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