見出し画像

【アンカラ滞在記】西のはずれから市街地中心部へ引っ越す(後編)

この記事は、先日の前編記事の続きです。

というわけで、引越し先がようやく確定。そうと決まれば、引っ越しの諸々の手続きをやります。日本での引っ越しと、やることは基本的には変わりません。電気ガス水道インターネット等の手続き、引っ越し業者の確保、荷物の搬出、搬入、ご挨拶まわりなどなど。

なんとか家賃がダブる期間も少なくやれたと記憶しています。

しかし、クーデタ未遂事件の直後の日本からの帰国だったこともあって、そのあたりの緊張感は持っていたようで。わざわざこんなツイートをしていたようです。

今振り返れば、当日トルコにいたわけでもなかったのに。大袈裟っちゃあ大袈裟な話ではありましたが。ただ、日本では本当に心配してくださった知り合いも多く、こんな形でトルコが注目されるとは…という複雑な心境になったのを覚えています。

ともかく、引っ越し先は決まっていましたから、あとは実行あるのみでした。

引っ越し業者へ連絡、荷造り

引っ越し業者は、同じくアンカラ在住の知り合いの方に紹介してもらいました。のちに我らが「ぴの」を授かった方でもある方で、こう考えると5年の滞在期間中、この方には大変お世話になっていることがわかります。

業者との打ち合わせは至極簡単。一度どれくらい荷物があるか見にきたようには思います。このくらいの量ならこの金額でどうだ、という交渉をした記憶も。当時の対円レートを覚えてはいませんが、900リラくらいで全部やってくれたはず。

業者が決まれば、家具のようなものは任せて。あとは本のパッキングが気がかりでした。やはり本が一番大切だったのです。

引っ越し当日のあれこれ

前夜のツイート。

そして当日。

見事な流れ作業だったのだろうと思います。たしかに、手際がよかったと思います。持つべきはこういういい業者さんを知っている知り合いだな、と。

とはいえ、引っ越しの日は、当然バタバタ。こちらもテンパっていたはずです。
最後は引っ越し業者の作業員のみなさんと一緒にトラックに乗って、引っ越し先に移動したように思います。当然の如く助手席に乗って、道中はこれからトルコはどうなるだろうな、とか結構シリアスな話になったと記憶しています。時期が時期でしたからね…

引っ越し後

それでは、引っ越し後の喜びのツイート群をご覧ください。

引っ越しに伴って、前の住所のアパートを掃除するという慣習はなかったようでした(ただ、引き払うときにちょっと汚なくなってるから、という理由で掃除代は支払った)。が、新しい住所の方は前の人がやはり汚したままだったので、掃除をする必要が。

もちろん一人でもやれる部分はやれるのですが、なんせトルコの物件。広いのです。一人ではしんどい。業者さん、あるいは掃除のプロの方に依頼するというのがあちらでは普通に行われていることではありました。

そんなこんなで、7月28日ごろはようやく新居で落ち着いて住めるようになっていたようです。

前のアパートの引き払いも、翌日に完了。しかし距離的にはバスで1時間ほど離れていたので、この時期はアンカラ市内を行ったり来たりしていたことになります。そら疲れますわな…

我ながらよくやったものだ。5年前の話ではありますが、当時の自分をほめてやりたい気分です。

Researchmapのブログにも、引っ越しのことを言及していたことに気づきました。

情報量がほとんどゼロの記事ではあるのですが、このタイトルの文章を当時ネットでわざわざ書いたということは、それなりに引っ越しに伴う気疲れと達成感があったのだろうな…と、自分のことながら推測しております。

さて一番最後の事案が、インターネット。

ネットが開通したのは、この3日ほど後のこと。

手続きしたのち3日で開通したということであれば、トルコとしては上出来でありましたでしょうね…。

お金…貯まらなかったね…(シミジミ)

ということで、取り止めもなく書いてきましたが引っ越しのあれこれ。前後で、いろんな人たちと関わったし、それに伴っていろんなことを経験したように思います。文章では伝えにくいのですが、自分の現地での経験としてはけっこう貴重だったかもしれません。

ここから先は

0字

¥ 200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。Çox təşəkkür edirəm! よろしければ、ぜひサポートお願いいたします!いただいたぶんは、記事更新、また取材・調査のための活動資金に充てさせていただきます。