見出し画像

Mecmua-ı Lûgat: 本当の本当に「最初の『トルコ語-日本語辞典』」の存在を教えてもらうの巻

以前、こういう記事を書いたことがありました。

その後、なんとトルコ現代史がご専門の小野亮介先生がこの記事を読んでくださっていたようで、以前この記事をアップした後、小野先生から個人的にメッセージをいただいたことがありました。

小野先生からそのときに教えていただいたことは、実はこの『日土土日大辭典』(1936年)よりもさらに古い辞典がオスマン帝国期に編まれていて、そのことが最近トルコの研究者によって紹介されている、ということでした。

それで、この研究者のお一人というのが、アンカラにいた当時ものすごく身近なところにいた…というか、日本語日本文学科の同僚だった先生だというんですからびっくりするじゃありませんか…!

当該の論文は上記リンクからアクセスできます。

論文の著者はアンカラ時代にお世話になった同僚の先生、Merthan Dündar教授です。彼をめぐっては不思議なエピソードがあって、その話も機会があればしようと思いますが。

トルコも最近は雑誌論文をデータベース化してくれていて、多くの論文がオンラインでアクセスしやすくなっていて助かりますね…。

いやあ…そういえばアンカラにいた当時、Merthan先生とそういう話をしたことがあったようななかったような。彼自身もかなりご多忙な方で、長時間話をする機会というのは実際はなかなかなかったのですが。

さておき。
その以前メッセージをいただいた、小野亮介先生からご献本を賜りました。昨日、自宅に郵送で届きまして…

小野先生にはすでに御礼のメッセージを送りましたが、ここでも改めてご献本の御礼を記そうと思います。なお同雑誌には、ツイッターのフォロワーの方もご論考を寄せておられるようで、さすが狭い世界よなあ、と一人意味なく感心しているところです。

同誌に、これまたトルコの研究者で、私がアンカラに滞在していたとき以来(もっというと、彼女が日本に留学していたころからすでに面識がありました)お世話になっているゼイネプ・ゲンチェル先生がこの「世界初のトルコ語(オスマン語)-日本語」辞典についての論考を寄せておられます。

その初の土日辞典の辞書の名前は"Mecmua-ı Lûgat"というのだそうで、ゲンチェル氏の言葉を借りると「諸語雑録」という意味。

余談ですが、見てくださいこの名詞句というか修飾関係というか。被修飾要素のほう、「雑録」を意味する"mecmua"のほうが先に来て、語尾を伴いつつ、修飾要素の"lûgat"のほうが語順として後にきているでしょう。
このパターンはトルコ語的というよりは、ペルシア語的な気がします。エザーフェというやつですね。かつて学部時代、勝田先生の授業でLewisの本を読んだ時に学んだっすなあ…。

詳しくは上述のMerthan先生の論文、あるいはゲンチェル先生の上記雑誌の論文を読んでみましょう。実際にオンラインアーカイブでその『諸語雑録』も閲覧可能とのこと(メンバー登録はしないといけないようですが)。

さあしかし、このあたりの話になってくるとさすがにオスマン語の知識が必要になってきますね…オスマン語、ちゃんとやったことがないなあ…どこかでやらないといけないですよねえ…いちおうトルコで買った市販の教科書は持ってるんですけどね…

なお、辞書についてはゲンチェル先生のトルコ語での論文もあり、こちらから読めるようです。この話題、もうちょっと追いかけてみることにしましょうか。

オスマン語と現代トルコ語を同一の言語とみるかどうか、という話はあるでしょうが、歴史的にはたしかに日本で1936年にトルコ共和国成立後初のトルコ語-日本語辞典が出る以前に、オスマン帝国期にオスマン語-日本語辞典が存在したということは間違いないようです。学びを得ましたね…!

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,931件

記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。Çox təşəkkür edirəm! よろしければ、ぜひサポートお願いいたします!いただいたぶんは、記事更新、また取材・調査のための活動資金に充てさせていただきます。