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「オンラインの外国語」は今後どこまで定着するだろうな

考えてみると、ぴのと一緒に日本に戻ってきたタイミングと、例のパンデミックが始まった時期は本当にぎりぎりのところでした。もう一足帰国が遅ければ、どれほど面倒なことになっていたでしょうか。

そんなことを考えるにつけ、私たち(つまり、私と「ぴの」)は本当に運がよかったのだろうと思います。もっとも、本帰国後の生活が順調と言えるのかどうかという問題はもちろんあるのですが。

さて私は、昨年末からnoteを毎日更新しています。おかげさまで、まあまあ続いていますね。noteの不具合のせいで連続日数のカウントが止まってはいるのですが、計算が間違っていなければ150日連続投稿を超えました。Herkese teşekkür ederim.


個人的には、せめて長崎の片隅にいる間にできることは全部やっておこうということで、その一環としてこういった発信をやっている意味があります。

多少ふざけ(ているように見せ)ながら、「テュル活」と称してテュルクに関係する内容の話を自分なりにいろいろと発信してみたらどうなるか、という試みでもあります。

研究活動とは(関連はするけど)別の形でのこういうアウトプットに何かしら意味があるのかどうか、まだ今は判断不能ですがどうでしょうね。オンラインの「トルコ語稼業」にはプラスの効果があったならよいのですが。

このご時世ということが逆に幸いしたのか、先日来うるさいほど書いているように、外大のトルコ語講座は満員御礼で始まりました。応募がかかってすぐに定員が満たされたという話は、他の言語も人気があるということはさておいても、やはりうれしいものです。

まあトルコ語、人気ありましたよね。やはり。うれしいうれしい。

ほかにも数件、個人的なトルコ語ティーチングの問い合わせなどもあって、おかげさまで生活の糧というまさにその点においてトルコ語がそれなりに役に立ってはいます。これはnoteをやっていた恩恵かもしれないな、とも思いますが。あるいはツイッターかもしれませんが。とにかくSNSの恩恵かも。

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さて、本題はパンデミック終息のその後についてです。こういった形の(パブリック・プライベートを問わず)語学の授業というのが、どれくらい定着していくでしょうね?

Zoomなどでトルコ語をやってみて思うこととして、少人数なら対面でなくても、オンラインでそれなりの内容のことはできるかなという感触はあります。ただ、今回の「オープンアカデミー」のように、多人数になってくるとちょっとオンラインではやりにくい部分というのは正直あるかなと。

これは、おそらく昨年春から(つまり、私より1年ほど早く)オンライン授業に携わってきた大学等の先生たちはとっくに経験していることでしょう。1年遅れて、私もそれを実感しているというところなのだろうと思いますが。

リアルタイムのオンライン型授業でこれですから、「ハイブリッド」というのは教える側に負担がかかりすぎなのではないだろうかと思うのですが、はたしてどうでしょうね…

こういう記事でも指摘されているように、ハイブリッド型だと教える側の負担するコストが大きすぎるなあという感想は私でもやはりもちます。

さて、そんな地獄のハイブリッドも含めたとして、オンライン型の授業。利点としては教える側・教わる側のどちらも、オンラインであればどこにいても受講できるという部分がとても大きいということはあるだろうなと思います。外大のオープンアカデミーが全体的に盛況なのも、おそらくそういった利点があるからだろうと思いますし。

私個人としても、オンラインでトルコ語を教える仕事に今後ありつけるなら、喜んで引き受けるだろうと思いますし。

逆に、その時に対面型の語学の授業というのはどれくらい残るのか。これは、その外国語が結局どれくらい人気があるかという部分がかなり大きく関わってくるのではないかと個人的には予測しています。

英語のような学習者が多い外国語なら、対面のほうがいいという話は根強く残るのではないか(確信は持っていませんが)とは思うのですが、ひょっとしたらそれ以外の外国語はオンラインの方が集客できるじゃん、という話になっていきそう…と私は予測しているのですがどうか。

かつ、その恩恵はその言語の数の上での需要が少なければ少ないほど大きいのかもしれません。

なんせ、授業というのは一定数受講者が集まらないと成立しないのです。
その意味では、オンラインのもたらす恩恵がさまざまなデメリットを上回る、という判断はされやすくなるのではないかと。トルコ語ももちろん。

なんなら、トルコ語などはまだましなほうで(なんせ人気の外国語ですからね✨)、たとえばテュルク系ならアゼルバイジャン語、キルギス語、カザフ語、トルクメン語、タタール語あたりはどうか。

知名度はそこそこある(当社比)がどのような意味においてもメジャーとは認定されにくい外国語科目は、ほぼほぼオンラインでやりましょう、オンラインなら人が集まるので…という展開になっていくように思われますが、はたしてどうでしょうね…。

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それがいいことなのかどうかはわかりません。「やはり対面でやれるにこしたことはない」という話は、当該外国語がどれくらい人気があるかとは関係なく残る可能性もあるかなとは思いますが。

私もトルコ語の授業というものを対面でやれるなら、もちろんそれはそれで喜んで(たぶん)引き受けていきたいとは思いますが、終息後の世界は果たしてどう変わっているでしょうか。

あるトルコ語は対面、あるトルコ語はオンライン…という意味でのハイブリッドな生活、というところでしょうかね。わからないな。

なにはともあれ、授業は授業として。

とりあえず、外国にはまた気兼ねなく行ける世の中に戻ってほしいとだけは思います。こればかりは、オンラインでは利かない部分が多いと思うのですがどうでしょうね?教える側にとっても、今から外国語を習う側にとっても。間違っても、「オンライン留学」なんていう言葉は定着してほしくないな…

…などということをつらつら考えた、大型連休前の朝であります。
早く来い来い、大型連休。がんばっていろいろ書くやんか。

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