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多言語に触れる生活がデフォな理由

人間というものは本当に現金なものというか、動機付けというものによって行動に非常に影響を与えられる生き物であるなという感想をもつ昨今です。なんというんでしょうか、研究活動とみなされる作業の一つ一つにやりがいを感じられるというべきなのでしょうか。論文を読むにせよ本を読むにせよ、はたまた必要な本や物品の購入を検討するにせよ、この数年にない研究への意欲が出ているという最近の自分です。いやもう、なんとありがたいことかと。助成金さまさまですわ。マジで。

昨日は、1月から受講していたイラン文化センター主催のペルシア語講座の学期末テストを受けました(結果が出たらまたここで何か書きます)し、月曜夜はロシア語受講の日。火曜日、木曜日はトルコ語を教える側に立つ日で、残りの時間が研究と勉強に充てられるというわけです。

やばいでしょ…?
トルコ語アゼルバイジャン語ロシア語ペルシア語、そして後述の英語と母語たる日本語…と並べていくと、各言語の運用能力や学習段階は措いておくとしても、頭がぐちゃぐちゃになりそうな気分にはなりますね(実際は意外にそこまでごちゃごちゃにならないのですが)。期せずして、多言語生活が当たり前の生活環境の完成というわけです。

しもべの多言語生活のあおりを受けつつもそれを逆用する弊オフィス社長

朝は外に歩数を稼ぎに行くことが多い最近の自分の行動パターンですが、今日も歩きながらこの後何をしようかということを考えていました。そういえば、国内外で今まで発表したものでまだフルペーパーのかたちで論文にしていないものがあったのではなかったか、ということを思い出して。それらをこの機会に「成仏」させておくというのはアリではないだろうか、等々。

そうと決まれば、2018年にカザフスタンに行った時の口頭発表論文、出来はいまいちだったけどひとまず文章化はしておこうかなと思いまして、今はPCの前で当時のパワーポイント資料を開いて、内容を確認していたのでありました。

そういえばあの時も、国際学会ではアゼルバイジャン語のことで発表したのでした…。あのカザフスタンでの学会は忘れもしない、到着早々とんだトラブルに遭遇してしまってですね…(詳しくは上記リンク先の記事を参照。ただし肝心なところを課金制にしてあるという嫌なヤツですワイは)

ああ俺人生終了したわ、からの解決してよかったねというオチにはなったのですが。それでもカザフ語-英語辞書など入手したり、念願のドンブラというカザフの民族楽器を購入してアンカラに戻ったりと、有形無形の成果を得たのは間違いないのですが。

そこまで有意義だったのなら、やっぱりその時の発表内容は論文にしておかないとですよね…

ということで、GrammarlyとDeepLを駆使しつつ英文の執筆にとりかかろうと心に誓う日曜日午前中の私であります(執筆が進んだとは言っていないことに注意)。

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