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コンヤには行ったけど(2004年6月)

コンヤ(Konya)は、トルコの中央アナトリア南部に位置する街です。メヴラーナ教団発祥の地でも有名ですね(世界史の教科書で、ぐるぐる踊っている人たちの写真を見たことがある人も多いでしょう。あの教団です)

そんなわけで、メブラーナ博物館がこの街で訪問必須のメインコンテンツになるでしょう。2004年当時も、日本からたくさんのツアー客が訪れていたのを覚えています。

なんせ、ヒルトンホテルがコンヤには当時すでにありましたからね。

メブラーナ博物館に入ろうとした時に、やたら日本語がたくさん聞こえてくるなと思ったら、日本からのツアー客だったという。声をかけられまして、今留学中なのですと言うと、あらそうがんばってトルコ語をマスターしてね、という内容のことを言われたような記憶が。

ともあれ、コンヤなんですが。おかしいな…けっこう写真を撮った記憶はあるのですが、あまり残っていませんでした。ピデという、トルコ式のピザの形状をした料理があり、コンヤのピデは特にetli ekmek(肉入りのパン、という直訳になります)が有名だからと言うので、老舗の店にも行った記憶があるのですが。そう言う写真が残っていないのはどうしたことか…

とはいえ、仕方ありません。ないものはないので、メブラーナ博物館の写真を蔵出ししておきます。

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館内が暗かったので、ブレてる写真も多いのでなんとも。しかし、博物館が、メヴラーナ教団の創始者の廟になっているということもあるので、かなり厳かな雰囲気だったことだけは覚えています。

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ここに限らないのですが、アラビア文字の装飾というのには圧倒されます。目にするたびに、ああアラビア文字が読めさえすればこういうのをみるだけで飽きることはないのだろうにな、と思うのですが…

なかなか勉強し出さないんですねえ。オスマン語も、大学院で授業だけは受けていたのですが、ものになったとは言えません。文字の読み方すらまだ怪しいレベルなので。そのうち勉強しないといけないなとは思いつつ。

いやあ、当時のことを思い出すことだけはけっこうあるんですけど。写真が残ってないですねえ…当時留学中の学生の女の子と、語学学校で同じクラスにいた日本人の方とその旦那さんの4人で行ったのは間違いないです。

で、その旦那さんの自家用車で(トヨタの高級車だったことも妙に覚えてる)アンカラから飛ばしに飛ばして、3時間くらいでコンヤに着いたことでした。その後近郊の公園でチャイを飲んで世間話して、暗くなる中これまたぶっとばしてアンカラに戻ってきた思い出があります。

写真が残っていないというのは、返すがえす惜しいことです…。そもそも、こういう記事のネタにならんし。何してんの当時のオレ

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博物館の中の撮影はこんなところです。あとは近隣にそれらしい建物があったので、それを撮ったくらい。

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もう、この建物がどこだったかすら覚えてないな…メブラーナ博物館の近くの何かだったような気はするのですが。

ということで、あんまり記事にはならないなという。書くだけ書いてみて今さらではあるんですけど…

それに、今グーグルマップでコンヤ市内を見てみると、けっこう重要な見所いっぱいあるんですね…

まずいわこれ。これはコンヤを制覇したとは言いにくいレベルだわ。

ということで、コンヤはコロナが収束してトルコに行ける機会があれば、またちゃんと見てこないといけないなと。アンカラにいた当時、なぜちゃんと行こうと思わなかったかなあ…自分…

(締めに使う写真すらないじゃん…あかんあかんこれは)

今夜のコンヤはこの辺で、といった風情ですよね…

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