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こんな時だから、「考えすぎ」ちゃおう

最近「考えすぎ」が問題としてよく見聞きします。Newspicksの特集でもあったり、Youtuber「考えすぎちゃう人」も人気ですね。

ネガティブな切り口で語られがちな「考えすぎ」という問題につっこんでいきたいと思います。

考えすぎてると引かれがち?人生の疑問たち

考えすぎなのが、しょうもないことであれば笑い話です。が一方、考えすぎなのが、人生の疑問についてだと笑えなくなります。というか引かれます。

考えすぎでも、内容によってニュアンスが変わるようです。人生について、人に言ったら、ぎょっとされてしまいます。(少なくともそう考えてしまう)

あ〜、スピ系ね、自己啓発系ね、宗教系ね、中2など、どれにしてもヤバい人と思われる可能性があると思われるものです。

では、具体的にどういったものがあるか、あげてみました。

【人に言えない人生の疑問たち】

・なぜ生まれたとき、これだけ違いがあるのか
・なんで人生は不公平になるのか

・なんのために生きるのか
・自殺はなぜいけないのか
・人の命の価値とはなにか
・死んだらどうなるのか

・本当の自分はどれか
・むなしくなるのはなぜか
・幸せとはなにか
・なぜお金を稼ぐのか
・なんで結婚しなきゃいけないのか

・なぜ人は災害にあうのか
・なぜ人は老いるのか
・なぜ人は病になるのか

・なぜ人はわかりあえないのか
・なぜ戦争は終わらないか
・なぜ宗教は必要なのか
・なぜ人は利己的なのか
・欲はどうしたらいいのか

・宇宙はどうなるのか
・現実と虚構の違いはあるのか

などなど

こうやって並べてみると「なぜ」系が多いように思います。そして、どれもどきっとするような質問ですが、答えられるかというと難しい問いばかりです。

面白いもので、「どうしたら」系は人とよく話をしますし、本屋にもよくタイトルで見かけます。たとえば

・どうやったらお金は稼げるのか
・どうしたらモテるか
・どうしたら健康になれるか

ちょっと文字が変わっただけで、途端にきな臭い印象をもたれがちです。

なぜ人生の疑問がタブー視してしまうのか

ですが、これらの問いを考えていないわけじゃありません。

なんだったら中学校くらいまでよく考え、話に出していた問いかけばかりです。しかし、大人になるにつれ、これらの問いをタブー視し、考えるのを止めてしまいました。

なぜこれらをタブー視してしまっているのでしょうか。
周りが危険と言っている人と同じに見られてしまうというのは大きいと思います。
けれど根本の理由は「考えても答えがわからなかったから」ではないでしょうか。

中学校、高校と向き合っても、分からなかったものが積み重なり、日々のことに忙殺されてしまっているのが多くの人の実情ではないでしょうか。

大人になっても時々に考えるものの、子供じみたことと思い、思考をやめがちです。

だからこそ安易に答える危険さを知っているわけです。
ゆえに「これが答えだ」と言っている人をそんなわけないだろうと警戒するわけですね。

いざというときに立ち上がれる人生哲学

姿勢はあまりよろしくないと思います。中身がない警戒なので、突破されやすく、いざ問われたら誤魔化すことしかできません。

問題視されるべきは問いではなく、その答えです。間違った答えだから問題であって、問い自体には罪はありません

問いから逃げてしまっていると、いざ自分があるいは周りの人が特定の答えにすがっているときに、議論ができなくなります。「それヤバいからやめなよ」では効果はありません。

話のしやすいお金や家、恋愛・結婚、仕事は、いざというときに力を失います。それこそ過日の震災などのときに失われることがあるわけです。すると、支柱がなくなった人は藁をもすがる思いで、なんでもつかんでしまいます。

逆に「なぜ」の問いはすぐに役立つものではありません。考えたらお金が儲かるわけではありません。ですが長期的にみていくと、人間力を高め、いざというときに力を発揮するものになります。

人生の難問に哲学的な思考を

冒頭で悩みを語り合えるのは幸せなことという話をしましたが、言えないような疑問を語り合えることこそ、関係が深い証拠です。何でも言い合える相手といっても、深い問いまで話せる間柄はいるかというと、ほとんどいないように思います。

ただもちろん話せたらなんでもいいわけではなく、理想は問いに向き合う姿勢は同じ人だといいですね。一方が問いを軽視した場合、話しはずれてしまいます。同じ重みで話が帰ってこない失望感が生まれてしまい、むしろかえって孤独を深めてしまう結果になってしまいます。

これらの疑問に真剣に向き合うのが哲学です。知識も大事ですが、自分なりに真剣に考えるというところから始めるのはいかがでしょうか。よくこういったことを「考えすぎ」と言われることはありますが、大事な人生の問いに考え過ぎということはありません

「自分は哲学しているのだ」と胸をはっていきましょう!


人生の疑問に向き合い、考える仏教塾やってます。


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