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クリスマスソングのような何かを/10年越しの競馬広告

3年間の長距離レース

2011年から2013年にかけて、競馬の広告をつくっていた。
JRAを担当していたのだ。

JRAの広告には大きく2つのラインがあって、ひとつは競馬に馴染みのない人を競馬に誘う、いわば新規顧客向けのシリーズ。俳優・タレントが出演し、楽しく競馬をやる様子を描くものだ。もうひとつは、「G Iレース告知プロモーション」と呼ばれるシリーズで、これは具体的なレースの広告である。「G I」というのは、かんたんに言うと最も大きな(格の高い)レース群のことだ。

コピーライターとして僕が担当していたのは、後者である。
2011年からの3年間で制作したものをざっと数えてみたのだが、テレビ、ポスター、新聞広告、ぜんぶ合わせて70本近い広告をつくったと思う。いずれも、「かつて競馬に燃えたことのあるファン」をもういちど競馬に呼び戻すことを目的にしていた。

主なものを具体的に言うと、まずテレビCM。2011年の「20th Century Boy」を主題歌にしたシリーズ、2012年「THE WINNER」、2013年「THE LEGEND」といった一連のCM群だ。これは、僕とCD(クリエイティブディレクター)とで、合作のようにしてコピーをつくっていった。

そして今回ここに書きたいのは、新聞広告のことだ。

といってもテレビCMとちがって、新聞広告は2011年だけの展開だった。その年に開催された20本のG Iレースに合わせて、広告も20本制作した。
コピーの内容は、過去のレースを回顧するものだ。それぞれのレース史に残る名馬に1頭ずつ焦点を合わせ、その馬のドラマと、それを観た人間のエピソードを重ね合わせ…って説明するより、原稿を見てもらったほうが早いですね。

これは実体験ですか?と聞かれることがたまにあったけど、とんでもない。どのレースも、僕はリアルタイムで体験していない。そればかりか、この仕事を担当するまで、ろくに競馬を見たことすらなかった。そんなこともあって、広告をつくるのは苦労した。

「人生」を禁句にして

町の図書館に行き、地下書庫に1日こもって競馬の資料を乱読したりした。制作会社のスタッフが資料を集めてくれる体制になってからは、それぞれの馬(どの馬でいくかはJRAが決めた)について書かれた著書や写真集、当時の競馬雑誌や、レース前後のスポーツ新聞のコピーまで、とにかく手に入る資料は片っ端から集めてもらった。
それを読み込んで、その馬の血統、特徴、脚質、バックストーリー、調教師や騎手の発言、当時の観客の温度感や、レース後のリアクションなどを「学んで」いく。まるで受験勉強のように。
そのなかから、じゃあこの馬はこういうテーマでいけるかな、じゃあこれを観戦するのはこういう人物で、というように、逆算して原稿中の「僕」の設定を考えていく。

でもこれは広告だ。
ボディコピーを、なんとなく600字台におさめたいと思っていた。広告にしては充分長いが、読みはじめてくれた人がストレスなく読めるぎりぎりがそれぐらいだろうと考えたのだ。
自分で決めた文字数制限ながら、これがほんっとうに大変で。
まず、3000字くらいの文章を書く。それを削って削って削って、650字くらいに圧縮していくのである。ああでもないこうでもないとやれば1200字くらいまでは縮まるが、そこから先は到底無理、に思えることもしばしばあった。でも、やった。

クライアントであるJRAのみなさんに、内容の修正を依頼されたことはほとんどなかった。あるとしても、レースに関する事実関係の誤りを指摘いただくくらいだ。テーマも、人物の設定も、細かいコピーワーク(表現)も、こちらの書いたものを最大限尊重してくださった。同業者なら分かると思うけれど、こんな機会、そうあるものではない。感謝しています。

コピーを書きはじめた僕に、CDはこうディレクションした。「『人生』という言葉を禁じ手にして書いてみて。そのほうが、ふくよかな文章になると思う」と。
そうか。「人生」という言葉を使うと、なんか書けた気になっちゃう、というのはたしかにあって。でも、その言葉を使わずにどう書くか、のところがコピーだよなあ、なるほど。というわけで、20本の広告に「人生」という単語は一度も使われていない。

G Iレース告知広告は、レースの開催週に出稿される。そして春と秋は、ほとんど毎週末のようにG Iレースが開催される(ない週もあるが)。
つまり、週1のペースで広告を繰り出していかねばならないわけで、こんな手のかかる原稿をこのペースでよくつくれたな、と思う。どうやってこれを可能にしていたのか、いまとなってはよく思い出せない。

いずれにしても当時は、次から次へと来る〆切(納期)までに原稿を完成させることに必死で、掲載されたものへの反応をちゃんと見る余裕さえなかった。
それに、全国紙に掲載された数本をのぞいてはスポーツ新聞にしか出稿されないため、一部競馬ファン以外の読者の声があまり聞こえなかった、というのもある。こう言ってはあれだけど、ちょっとハードコアな広告だと思っていたのだ。広告なのに。

ところが。

あれから10年もの月日が流れた2021年。当時は、手ごたえとしてあまり感じることのできなかった「読者の声」が聞こえるようになったのだった。

10馬身差でゴールした広告

きっかけは2つあった。

ひとつは、「ウマ娘」だ。
「ウマ娘」についての説明は省くが、ゲームでもありアニメでもある、このまさかの競馬コンテンツのブーム。本編内では当時のテレビCMがオマージュされ、それを機に一連の広告シリーズが再注目されることになった。
そこには既存の競馬ファンもいるだろうけれど、「ウマ娘」で初めて競馬に興味をもった人もいるだろう。

もうひとつは、「ことばと広告」というTwitterアカウントの存在だ。
これがどんなアカウントかは、朝日新聞のこのインタビューを読んでもらえればよく分かると思う。コピーを中心に、「中の人」が興味を持った広告の原稿を、頻繁にアップしている(ちなみに「ことばと広告」さんは最近、ここnoteでもハイペースに記事をアップしている)。

ここ2年ほど、春と秋のG Iレース開催日に(新聞という「日付のメディア」ならではで気が利いてる!)、この2011年の原稿を取り上げてくださることが何度もあった。
「ことばと広告」は人気アカウントであり、おかげでこのシリーズは2020年から2021年にかけてたくさんの人の目に触れることになった。画像がアップされるといろんな人が反応してくれているのが分かる。かつてこの広告がターゲットにしていた「競馬ファン」ではない方面にも、見られる機会ができたのだ。

ちなみに「中の人」のことを僕は知らないし、面識もないと思う(んだけど、正体を知らないため断言はできない)。

広告は出稿期間(新聞の場合はわずか1日)が終われば、消えるもの。今回のこれでいえば、レース告知の役割・機能を終えれば、終わるものだ。原則として残らない。うまくいけば『コピー年鑑』のような特殊な発行物に載ることはあるけれど、ふつうの人の目には触れなくなる。広告がナマモノと言われるゆえんのひとつでもある。
その刹那的なところが、魅力でもあり、さびしさでもあり、でもそういうものをつくる職人が自分たちなのだという矜持(というとかなり大袈裟)もなくはない。だから、努力してつくった広告が「後に残らない」ことも、まあ余裕で受け入れてきたのだ。

だけど、SNSのおかげで、「残った」、というか「跳び越えた」。10年越しでみんなに見られ、共感され、シェアされるものになった。
広告、なのに10年越し。こんなこともあるのか。そう教えてくれた。
苦戦していた30歳の僕に、いま40歳の僕はこのことを伝えてやりたい気もする。

30歳「うぅっ…これ700字以内にまとめるなんて不可能すぎる」
40歳「大丈夫。夜明けには668字に落ち着くと思う」
30歳「誰!?え、俺?」
40歳「突然ごめん、10年後の君というか俺というか」
30歳「40歳…すごいおじさんになってる」
40歳「想像できないと思うけど、その広告は10年後に、つーか10年後のほうが注目されるかも」
30歳「意味がわからない」
40歳「ですよね。えーと、ウマ娘とことばと広告っていうのがあって」
30歳「え、ウマなに?いまの3つもう一回言って、メモるから」
40歳「3つじゃなくて2つね」

あえて書いておくと、この広告シリーズについて自分で何かを言うことに、最初はためらいがあった。

というのもまず、いま見返すと全体的に青臭いところもあって、気恥ずかしい。30歳のコピーライターが、なんか知ったようなことを書いていて。もっとこうしとけばよかった、みたいな部分もなくはない。 
それより何より、昔の仕事を引っ張りだしてくるのが、過去の栄光を再提出するみたいで、やっぱりダサいからだ。
まるで、いま現在の仕事で勝負していないみたいじゃないか。
それは一面ではその通りと言えるし、もう一面ではそういうことでもない、といまは思うわけだが、この説明は簡単には済まないのでここではパス。

けど、いずれにしてもそんなふうにためらうことを、辞めてみた。

「ことばと広告」さんがアップしてくれたものを読み返すと、当時の工夫とか試行錯誤とかアイデアとかが伝わってくる。がんばってたんだな。大変だったけど、やって良かったな。いまはそこに愛しさを感じたりもする。そして、またいい広告つくらないとな、と。
はっきり言ってしまえば、ちょっと力をもらったのだ。他人事のように。
10年というのが、その程度には「熟成発酵」する年数だったんだと思う。
10馬身差で、なにかゴールできた気がする。

その名前は、名前じゃない何かにきこえた

春と秋、毎週末のようにレースがあり、もちろん今年は今年のレース告知広告が、馬と人を盛り上げてくれる。でも同時に、あの春や秋に自分が格闘しながらつくっていたものまでリマインドされる。91年のトウカイテイオーや94年のナリタブライアンがリプレイされるのと同じように。

自分にとってそれは、桜の季節が来るたびにヘビーローテーションされる卒業ソングや、冬になるたびにオンエアされまくるクリスマスソングのような、何かだ。
そういうものが、毎シーズン、毎週末のように、ある。20個もある。
これはコピーにとって、広告にとって、ありあまる幸せではないか。

きのうはクリスマスで、きょうは有馬記念だから、ひさしぶりに記事を書きました。
みなさん、どうか良いお年を。

そうだ最後にいちおう付け足しておくけれど、この記事で、別にJRAからお金はもらっていない。

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