ミドリちゃん

嫌いです ああ 

で始まるポルカドットスティングレイの「ミドリ」が好きです。Vo.の雫さん曰く、「クラスの女子に なんか気に入らないという理由で嫌がらせされまくってるけど、内気で言い返せない高校2年生ミドリちゃんの日記」だって。

こういう子がクラスにいたような気がしてる。いや、いなかったかもしれないけど。自分を表現するのが苦手な子。「周りも嫌いだけど、そんな人たちに何も言えない自分も嫌い。そんな自分が嫌い。」っていう感じ。周りへの嫉妬、自己嫌悪、自己顕示力、好きな人、嫌いな人。全てがごちゃごちゃしてて、上手く表現できない。

でも、こんな気持ちはみんな持ってるんじゃないって。それをうまく押し殺して立ち回れる人と、そうじゃない人がいるだけで。「嫌いです ああ」っていう表現の「ああ」は自分が嫌いでもあり、周りが嫌いでもある。頭の中で、風呂に沈めてたり線路に置いて電車を待つのも、相手に対してとそんなことを想像する自分に対してもそうしたいって気持ち。

「崩れてゆくことが悔しくて、今誰にも言えない」「幸せな方が私にはふさわしいと思いたい」

自分を認めたい。でもほかの人に認められなくて悔しい。同時に自分自身でも認められなくて悔しい。誰か1人に認められたい。それが誰なのかな。好きな人?憧れの人?分からない。自分がどうしたいのかもよくわかっていない高校生。好きな人がいた頃を思い出します。

どこかで男版ミドリちゃんだった?自分の事が嫌いで、自分にはないものを持つ人に嫉妬して。僕はどちらかというと、そんな人たちと一緒のグループに要ることで自己肯定してた。ダサいね。好かれてる人たちが羨ましいんだ。自分も好かれたいから。自分が思う自分にはどうしても届かなかった。勝手にやりたいことやっても認められるやつになりたかった。どうしてもなれなかった。自分の意見ってのは持ってたけど、ただそれに自身が自信も根拠も持ってなかった。楽しいの基準が今と違うからか。仕事か学生かの違いか?

なんで?いいたいこといえばいいじゃんって今なら思う自分がいた。大人になったから?実際はそんなに言えないんだけどね。言えたらいいなって思って何とか実行しようと考えるようになった。でも全部言ってもなりたたんしなあ。昔とは違う形ですが、今も嫌いですああ。

大人になったミドリちゃんに会いたい。雫さんが大学ver.と社会人ver.書いてくれるのを待ってます。

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