誰も分かってくれないことを前提に

 最近思うのは、誰も自分のことなんかわからないってこと。そう自分さえもそう。

 「わかってよ」「なんでわからないの」

 いやそう言われても分からないもんは分からない。考えてもみなよ。そもそもの前提として、自分と他者では考え方が違う。分かってあげられるはずがないんだ。分かってほしいって思ってしまうものだけど、その度に僕は思う。

 「うん、無理だな」

 これがどこまでいっても正解。理解してなんて烏滸がましい。わかろうとして失敗して勝手に傷ついて馬鹿みたい。そんなことする前にちゃんと考えた方が良い。理屈でね。

 大体自分のことだってわからない。昨日の自分と今日の自分と明日の自分さえ違う。変わっていく自分が分からないから、日々悩むんでしょう。それなのに主体でもない相手のことを分かろうなんて。

 だから大事にしないといけないのは「聴くこと」。現代文で扱った問題で、「フェア」と「トレード」について書いてあった。双方の合意を得ている「フェア」と平等を前提とした「トレード」。そう考えると「フェアトレード」って言葉には矛盾がある。そもそも「フェア」だから「トレード」が成り立つのに、「フェア」な「トレード」は矛盾している。でもそんな矛盾成り立っている世界。そんな中で誰かを完全に理解するなんて無理ゲーです。

 だから分かり合おうとする。考えの違いを認める。そうやって自分についても分かることがあるんじゃないか。カッコつけてないでさ、そのことだけでも認めてみるともう少し上手く生きられそうな気がする。

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