真っ赤な空を見ただろうか

 真っ赤な空を見たことがあるだろうか。僕は何度かある。

 初めて見たのは小学校3年生の帰り道。先生に怒られて、泣きべそかきながら歩いた道。いつもは皆で帰るのに、自分ひとりで帰る道。自分が悪いことをしているつもりは無かったけど、相手は傷ついていた。自分の痛みは自分にしかわからない。人の痛みはわかってあげられない。わかってあげられるなんて思い上がりだって、子どもながらに思った。とぼとぼと歩く帰り道はいつもと同じだけど、何かが違った。見上げた空は赤くて、なんだか怖かった。

 「悪かった、ごめん。」

 その言葉が言えないままに、僕は転校した。

 次に見たのは、小学校6年生の夏。家から学校までは歩いて10分。生まれて初めてちゃんとした目標を持って、はしゃいでた。駆け足で坂道を上った。川と橋の上には、赤い空と雲。みんなに応援されてもらっている気がして、嬉しくなった。自分だけじゃないのかなって思った。

 3度目は高校生の夏。部活を引退して、勉強をするためだけに学校に行ったときのこと。なにやら煮え切らない思いがあって、やりたい事も決まらなかった。どうにも自分の気持ちがわからなくなっていた。花火大会に誘っていた女の子もいたけど、好きかどうかもわからないままで。頭の中がごちゃごちゃしていた。いつものように橋を自転車で渡ったとき、海の方を見て、思わず立ち止まった。

 海も赤くなるほどに空が燃えていた。前は怖かったけど、もう怖くなかった。世界が燃えていた。

  真っ赤な空を見る時、何かが起こっている。

 溜め息の訳を聞いてみても 自分のじゃないから解らないだからせめて知りたがる 解らないくせに聞きたがる あいつの痛みはあいつのもの 分けて貰う手段が解らないだけど 力になりたがるこいつの痛みも こいつのもの

 夕焼け。大人になった今も時々、真っ赤な空に出会う時がある。その空は、過去と現在と未来を繋いでいるんじゃないかって思う。僕自身について、そして誰かについての話だ。

 一人だけど一人じゃない。

 一人で見た 真っ赤な空 君もどこかで見ただろうか 僕の好きな微笑みを 重ねて浮かべた夕焼け空

 そんな自分を誰かと重ねるのもいいんじゃないか。だって、周りにはその時の大切な人がいるから。もちろん変わっていくことはわかっている。でも、時々触れ合って、交差して、別れて、自分たちは進んでいく。僕の真っ赤な夕焼け空は、誰かにとっても同じかもしれない。

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