理想郷

 「難しいくちづけ」っていう言葉が難しい。「くちづけ」なんて奥ゆかしくて最近は使わないのに、それが難しいなんて。なんなんだろうこの感じ。それは危険で危うくて、それでいて温くてだらだらと続いていく毎日のようで。まるで僕の生活は表しているみたいだった。

 今1人で何してるの。

 何の予定もない日曜日の昼下がりに家でごろごろしてたら、急に昔の彼女から連絡が来た。はっきり言って全然いい別れ方をしていないから、驚いた。傷つけたり傷つけられたり、最後はお互いにくたくたに疲れ果ててしまった。嫌になって自然と連絡が減って、それを詰っても何も生まれなかった。結局ちゃんとした別れも告げないままに、僕と彼女の恋人関係は解消された。確か2年前のことだ。

 何で1人ってわかるの?1人じゃないかもしれないじゃん。

 図星だったのが悔しいけど、そうじゃなかったかもしれないじゃんって思って、LINEを返したらすぐに返信がきた。

 嘘だね。1人でしょ。

 偶然だけど当てられたことは少し悔しい。でも否定するのも変だし、それとなんの用があるのかが気になった。

 今は1人だよ。どうしたの?久しぶり。

 自分ではよくわからないけど、予感を含んだ現象ってあるものだ。例えば、いきなり訪れるデジャヴ。なんかこれ見たことあるけど確証はない。例えば、SNSで昔の友人の投稿を見ていたら、数日後に連絡が来る。昔の関係性と今の状況を知って、歳を取ったことを実感する。

 別に、1人でいる人は誰だろうって考えたら浮かんできたから。

 相変わらず勝手だなって思った。それで?何がしたいのかも全然わからない。だから、半分は強がって言った。

 1人だけどね、やることはあるから。

 へえ、やることはなんなの?私はビール飲みたいんだけど。

 本当は特に何の予定もなくて、明日からは仕事だ。誰かと昼から酒を飲むのはとても良いアイデアに思えた。でもペースに乗せられたようでなんか癪だ。

 飲めばいいじゃん。

 言われなくても飲むんだけど、1人じゃ詰まんないから連絡してるの。

 LINEの返信って会話みたいに感じるのが面白い。2年間会ってないけど、違和感なく進んでいく会話は間違いなく彼女と付き合ってた頃に戻ったみたいだった。まるで目の前にいるようで。そうすると、なぜか無性に会いたくなってきた。
 勘違いしないでほしい。信じてもらえないかもしれないけど、これを機によりを戻そうなんて思っていない。そういう感じじゃないことは連絡してきた彼女が1番よくわかっているだろう。ただ思いついたから。でも、このタイミングで連絡が来て懐かしくなったことは間違いない。

 いいよ。どこに行けばいい?

 代々木公園集合で!!

 着替えて山手線に乗って原宿へ。ぶらぶら歩いて明治神宮を越えて、代々木体育館を左手に公園へ向かった。待ち合わせのベンチには久しぶりに見る彼女がいた。

 お、ほんとにきたんだ。

 そう言ってニヤッと笑った。

 言われたら来るでしょ。元気そうで何より。全然変わってないね。

 腰を下ろして、買ってきたビールを差し出す。乾杯したらバドワイザーの赤い缶は天気の良い日の空に良く映えた。

 何で急に呼んだの。

 何でかな。呼びたくなったから。

 理由になってないけどね。

 Tシャツにワイドパンツにナイキのサンダルというラフな格好の彼女。サングラスが良く似合っていた。2年間で何があったか、何となく近況報告をしたけ。彼女は今も変わらず渋谷にある中くらいのデザイン事務所で働いているらしい。
 一通り話してすることが無くなったから、ちょっと聞いてみた。

 なんでさ、急に連絡くれたの。

 言ったじゃん。1人でいる人探したんだって。

 まあそうだけどさ、よりによって僕呼び出さなくてもよくない?もう2年会ってないし、なんなら別れ方最悪だったのにさ。

 いいんだよ終わり方なんてさ。

 そういうと彼女は残ったビールを飲み干した。

 仕事もない、することない、天気もいいでしょ。緩くて温い人探しただけ。

 緩くて温い。どういう風に捉えていいかわからないけど、今僕が楽でいられるみたいに、あの頃はすれ違ったけど、幸せだったのかな。

 楽でいいじゃん。飲み終わったし、買い物でもしよっか。

 僕と彼女は原宿に歩いていった。別に今日が終われば明日からはお互いにそれぞれの生活に戻るだろう。でも、「温くて狭いユートピア」は「幸せ」だったんだろうなと思った。2年前と同じように早足で僕の斜め前2歩先を歩いていく。ユニクロはもうすぐ。

 

 

#ほろ酔い文学

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