秋を追いかけてたら、気付いたら冬だった。

 秋を追いかけていた。夏が長い近年、秋って少ししかない。もっと長かったはずなのに。灼熱の9月もまだ暑い10月も無かったはず。こうやって世界は変わっていくんだなあ。平成には無かったものが令和にはあるわけだ。

 四季折々の日本。古典も現代文も日本と言えば季節だねっていう文章がたくさんある。特に、古文を読んでいると昔の人たちは季節に関して僕らよりもっともっと敏感だったことが分かる。文字で書き連ねた昔の人たちの感じたことは、今の僕たちも影響を与えている。国民意識はあんまりないんだけど、感覚的な部分に生きていると思う。たとえ時代は変わっても、僕らは常日頃から自然を感じ乍ら生きている。そうじゃないと古文を見て何にも感じない、いや逆で古文から感じているのか。外国の人が古文を呼んでも、あんまり分からないらしい。

 特に春と秋は僕らに強く感じられる季節らしい。夏と冬が極端で強烈な印象を残す海外。それはもうすさまじいもので命の危険にも繋がるのでそれを征服しようとしてきた部分もあるのでは。僕らは暑いけど暑すぎず、寒いけど寒すぎない、結構快適な気候で過ごしてきたその間にある春と秋。これはいわば中途半端な季節で、何やらもやもやしたものが残る。夏と冬は暑かったり寒かったりで、頭の中はいっぱいになる。その点、春と秋は違う。変わりゆくものを味わう余裕があるんだ。春はあけぼの、秋は夕暮れ。情感とか風情とかいう感覚的で微妙なものを感じ取りたい。

 それが最近無くなってきたんだな。夏から冬へ。間の秋はどこいったのよ。秋が来ないかなあ、あ、来た。あれ?寒いぞ。待ってよ、もう行っちゃうの。そんな感じ。寂しいなあ。秋を追いかけている時間が好きだったのに。特に大学生の頃は秋が好きになった。あ、もともとは自分が生まれた夏が好きだったんですけどね。秋になって学芸大学小金井キャンパスは染まる。23区ではないけど東京を貫く中央線で交通の便は悪くない。国分寺、小金井は自然がいっぱいの良い街。いつかもう一度住んでみたいんだけど。

 追いかけていたのは、読書、映画、食、ファッション、スポーツ、恋、その他諸々。勝手にどこかに行くんじゃないよ全く。少しだけってわかっていたけど短すぎるんじゃない?

このまま元に戻ることは無いんだろうな。いつか僕らの時代が古典になって、令和の後の時代の日本人が読んだら、「秋?何それ食えんの?」って感じになってるかもしれない。でも確かにあったんだよ。秋。

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