僕たちは世界を変えることができない

僕たちは世界を変えることができない。そのことに気付くのはいつのことか。生まれてから年を経るに従って、僕たちの世界は拡がっていきます。生まれた頃はまだ五感も十分じゃなくて、両親でさえ、遥か上から自分を見下ろしているおっきな存在らしい。自分の世界は、把握できる身の回りの状況だけ。

だんだんと大きくなって、自我ってものが形成されてきて初めて社会に生きる存在になる。「第2の誕生」ってやつですね。世界は劇的に拡がっていきます。自分が生きている世界がどんどん大きくなっていく。「知らないことを知る」ことで、不安と高揚感が同居する。これが、いわゆる「成長」かなと思ってます。

でも、ある時に気付くんです。「僕たちは世界を変えることができない」。私たちが生きている世界は思ってるよりもずっと大きいし強大である。その中で生きることは出来ても、大枠を自分に合わせて変えることはもはや不可能だと。力が及ぶことが出来ないくらいに、僕らの世界は大きくそして変に歪んで強くなっている。

「育ってきた環境が違うから」、という山崎まさよしの指摘がある。まあ一理ありますよね。しかし、いつかどこかで気付くのは、生きていく中で感じてしまう、ある種の諦め。どんなに頑張っても変えることが出来ない世界の掟。「少年の日の思い出」で僕が幼い頃に感じた世界の掟は、大人になっても消えない。

自由に生きているつもりでもレールに乗っているし、大概の人はその事にも気付かないくらい平穏に毎日を過ごしている。

なんかやろうとしてもその世界の中でしか出来ない。問題は、その世界がどこまで認められているかを把握すること。世界を変えることはできないけど、自分の生きる世界を変えることはできるんじゃないか?もちろんそれも大変だと思います。何にもしなくても、変えなくても、流れに乗っていればなんとなく生きていくことができる社会なので。この社会を否定しているわけでは決してありません。生きやすいとも言える。でも、根底を見つめると生きやすいのは意思がないから。と言うか知らないし、知ろうとしないから。今の今まで気付いていたけど見てみぬふりをしていた。そうして過ごしていたら、気付けば30歳になっていた。

世界は簡単には変わらない。とても変わりづらい。分かっていても何ともならない。そうやって諦めるのは簡単。でも、何とか出来る可能性というものを信じてみるのはいかがでしょうか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?