他人が欲しがるものを欲しがる心理


 欲しいものがたくさんある。なんで?もちろん自分が欲しいからってのはあるんだけど、それは「誰かが欲しがってるから」ではないですか。

 たまには国語教育の小説教材について。「少年の日の思い出」でも「こころ」でも、主人公が何かを欲し、その果てに取り返しのつかない失敗を犯してしまう。「少年の日の思い出」では、エーミールが盾にした「世界のおきて」にぼくは敗北する。「こころ」では、Kの自殺によって先生は「取り返しが付かないという黒い光」に一生苛まれる。

 この二つに共通するのは、「誰かが欲しがるものを人は欲しがる」という構図です。そして、それが自分にとって何か意味がある人である時にこれはより一層強くなる傾向があります。エーミールは模範的な少年で、ぼくはコンプレックスを感じていたし、Kは帝大(今でいう東大)に通う先生であってもかなわないと感じる孤高の存在。
厳密にいえば性質は違います。普通の少年であったぼくに対して、周囲からも模範的、つまり社会的評価が上であるエーミールへの劣等感。秀才であり資産も持つ、余裕のある先生に対して、貧乏だが先生には出来ない道の追求を実践するKへの敗北感。二つの関係は共に自分が感じる優劣を基にしたものです。「自分にないものを求める」ことが共通している。

 誰かが欲しいと自分も欲しくなる、これは資本主義の基本的な考え方に繋がるし、社会心理からも説明できるように思う。例えば、インフルエンサーが商品を紹介すると欲しくなる。何か自分にとって影響のある人がほしいものを欲しがる。そこに自分の意志はあるのか。流されるとは違うのかもしれません。しかし、知らず知らずのうちにそう考えてしまっていること、私たちにもありませんか。

 


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