「どんな気がする?誰にも知られないってことは、転がる石のように」

 Yahoo!!ニュースで、「ヴィレヴァンがいつの間にか結構マズい事態になっていた。」という記事を読んだ。


 ヴィレッジバンガード、略してヴィレバン。「遊べる本屋」というけれど、本屋というよりも空間そのものが「ヴィレバン」である、と僕は思っている。狭い店内に所狭しと並んだ本、雑貨、色んな小物。目を引くPOPに流れる聴き慣れない音楽。古着屋とも違う独特の匂い。下北沢や高円寺の大きな店舗はもちろんだけど、新宿の百貨店に入っている小さな店舗でも、「ああヴィレバンに来たな」って分かる。この雰囲気が好きだった。

 僕の地元、大分にもあった。そこは入るのが少し怖いけど、なんか得体の知らないもの、自分が知らないもの、怪しいけど魅力的なものがたくさん詰まっていた。中学生の僕は、ドキドキしながら店に入り、1時間くらい店内を回って面白そうなものを物色し、お小遣いとにらめっこしながら慎重に選び、誰かと被らない自分が好きなもの、を買っていた。それだけで特別になれた気がした。

 大学で上京してからは、休みの日に吉祥寺と立川の店舗に行って時間を潰し、時々下北沢や高円寺の大きな店舗に行ってバイト代を使うという日々を送っていた。

 そんなヴィレバンへの愛をnoteで語ったこともあります。

 僕がヴィレバンから知ったもの・知ったもの・買ったものはこちら。

・アリス全般(ディズニー映画、不思議の国、鏡の国、シュバンクマイエル)
・池袋ウエストパークシリーズ
・Disney全般(MOSH PIT ON DISNEY、DIVE IN TO THE DISNEY、JAZZ、初期のDVD)
・バンド(バンT、パンクロック)
・AKIRA
・お香
・変なお菓子
・小説(家畜人ヤプー、ドグラマグラ)
・ポスター
・アメコミ(マーベル、DC)
・ジブリ(シュナの旅、
・音楽(→Pia-no-jaC←、DOPINGPANDA)
・マンガ(萩尾望都先生の「11人いる!」、手塚治虫先生の「きりひと賛歌」「鉄の旋律」「奇子」、久保ミツロウ先生の「モテキ」)

 これはまだまだ一部で、もう覚えていないくらいたくさんのものに出会った。サブカルチャーって何って言われると難しいけど、その性質は「自分しか知らないもの」を求める、つまりは自分だけの個性を求める風潮に支えられている。カウンターカルチャー、対抗文化という言い方をするけど、メインから外れた自分だけのものをヴィレバンは売っていると思っている。騒がしい店内は情報に溢れているけど、全部が刺さるわけじゃない。その中で自分に合ったものを発掘する場所、として捉えている。

 ヴィレバンが好きすぎてすごく前置きが長くなってしまって申し訳ないけど、その中で最近思い出したのがボブ・ディランの「ライクアローリングストーン」だった。中学からゴイステ・銀杏好きで、峯田さんのアイデン&ティティを見て、ヴィレバンで漫画を買ったという流れで好きになった。

 ディランがこの歌で語る無常観を聴くと、方向性は全然違うけどクリープハイプの「美人局」を思い出す。クリープハイプは好きなバンドでよく聴くんだけど、その中でも常にTOP5に入る曲だ。


 どこかで何かが崩れていくし変わっていくのが世の常。これが無常観だと思う。当たり前のことなんてないって思わせてくれるのがディランで、実感するのがこの曲。

 話を戻して、「ライクアローリングストーン」のサビ「どんな気がする?誰にも知られないってことは、転がる石のように」が今の世相(世代?感覚?)を表している気がしたんだ。資本主義で世間は回っているから、誰がいつどこで何が起こるか分からない。上手くいくことも落ちぶれることもある。

 何が起きるか分からないことは前提で、僕は一普通にちゃんとやっていれば大丈夫だと思い込んでいる。でも本当にそうなの?急に誰からも忘れ去られてしまうことだってあり得るんじゃないの?そんな世界なんだよ?って思った。きっかけは些細な事かもしれないし、誰にも分からない。そのことに自覚的になった。

 月並みにエモさを感じた今でも好きな映画とマンガと音楽。でも、それがある意味で本質を捉えていたんだなって勝手に一人で思っている。

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