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メビウスの輪のように終わりが始まり

 木村カエラさんのカバーをきっかけに、「タイムマシンにお願い」を聴いていた時期があった。https://youtu.be/9D8_Xa_2Gl4 原曲であるサディスティック・ミカ・バンドも聴いた。https://youtu.be/b8ATGykcyYg

 加藤和彦さんが亡くなってしまったことがショックだった大学2年。その頃聴いている人は周りには全然いなかったけど、これをきっかけに「イムジン河」「あの素晴らしい愛をもう一度」を知って、音楽の普遍性を感じた。これいいなって思うものは人それぞれに違うけど、自分が好きなものは何かって少し分かった気がした。

何の繋がりのないようなものが自分の中だけで繋がっていく時がある。例えば「タイムマシンにお願い」からバック・トゥ・ザ・フューチャーを思い浮かべてデロリアンに乗りたくなるし、言葉尻が似ているという理由だけで「コミック雑誌なんていらない」の内田裕也さんとたけしさんの演技を思い出す。安定のドラえもん(大山のぶ代さん)、特に大長編はビデオテープが擦り切れるくらい見て大好きだった。

「メビウスの輪のように終わりが始まり」という歌詞がこの唄の中には出てくるんだけど、そこから連想するのは東野圭吾さんの「片想い」。メビウスの輪は表と思ったら裏で、裏と思ったら表。不思議ですね。これは実は結構真理に近いものなんじゃないかって思っていたりする。二項対立とかフィフティフィフティで表せると思っているんだけど、実はそうじゃないみたいな。

 なんでこんなこと考えたのかというと、大学で少し学んだ「脱構築」について改めて考えて、構造って勝手に僕らが作ったもので思い込んで苦しんでいるだけなんじゃない?って思ったから。単純に分けるのは簡単だけど、そうはいかないことって実は多いんじゃないかっていう。

 オンラインは何に関しても便利で、対する対面は不都合なことばかりだと、こう思っていました。二項対立でそれぞれのメリットデメリットを探して、優位に立とうとする。昨今のコロナ禍で可視化した。けどそうじゃなかったと思います。便利なものの裏には不便なものの良さがあったんじゃないかと考えるようになりました。

 いつでもどこでも繋がれる。それだけで何でもできる気でいたけど、どんなに近くてもリアルにしか出来ないものもあるんじゃないか。会って話して初めて分かることがたくさんあったんだ。その当たり前のことに気付かずに過ごしていた。オンラインがもてはやされる今の世の中でも、その裏にある対面の近さを忘れると大変だ。

終わりと思ったら、それはまた新しいスタートの始まりでさらにループしていくもの。



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