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[中国地方一周] 青春18きっぷで行く一人卒業旅行

気づけば会社に入ってから、干支が一回りしようとしている。異動や組織改変やらでざわざわするこの時期、あの時は一人旅に出ていた。

今のところ唯一の、青春18きっぷの旅。
細かいことは全然覚えていないので、残された僅かな記憶と写真を頼りに振り返ってみる。

旅行日:2009/3/16〜21

* * * * *

大学時代は体育会に所属しており、練習と試合の日々を過ごした。
大学生は時間だけはある、なんて言うけれど、その殆どを部活に費やした私に残された時間は、部活を引退して卒業するまでの4ヶ月。そのうち2ヶ月は、授業やテストもあったので、実質最後の2ヶ月だった。

いわゆる卒業旅行として友達と出掛けたりもしたけれど、残されたこの時間内で、青春18きっぷを使って旅行に行ってみたかった。

選んだ行先は、中国地方。
親戚一同東側の私の、それまでの本州最西到達地点は神戸。それも部活の遠征。
行ったことのない地を目指して、中国地方一周の旅に出た。

1日目:嵐山と鳥取砂丘

青春18きっぷを有効に、そして贅沢に使うべく、まずは夜行バスで京都に向かった。

時間調整も兼ねて嵐山をぷらぷらし、8時過ぎに嵯峨嵐山駅からいよいよ青春18きっぷの旅スタート。

山陰本線を進み、まずは鳥取へ。鳥取駅からバスに乗り、14時半過ぎに鳥取砂丘に到着した。

ハングル文字の漂流物に、太平洋とは異なる海岸線である事を実感する。

鳥取駅へ戻り、再び山陰本線へ。
この日は松江に宿泊。

2日目:松江城と出雲大社

9時前に宿を出て、松江城へ。別称、千鳥城。

お堀周遊の遊覧船で低い位置からの視線を楽しみ、時刻は11時。時間に急かされ、周遊バスに乗り松江駅へ向かい、続いては出雲へ。
宍道湖は車窓からみる程度になってしまったのが勿体ない。

出雲市駅からはバスで出雲大社に向かい、13時半ごろに到着。

参道の広さと長さに、その規模の大きさを知る。今でも十分大きいのに、古の大神殿はどれだけの大きさで人々を圧倒したのだろう。
ご本殿はちょうど平成の大遷宮で屋根の修復中で、少し横にずれるとクレーンやら何やらが見える。

14時半にやっとお昼にありつく。
出雲の割子そば。1つ目にだしをかけて食べて、余っただしと薬味を次に移して、出汁追加しながら食べていく。説明書きもついてきた。

お味の程は全く覚えていないが、楽しかったからこのお蕎麦のことは覚えている。
15時半ごろまで境内をぶらぶらし、バスに乗ってまた駅へ向かう。

もっと、古事記とか勉強してから行けば良かったなぁと。因幡の白兎とか稲佐の浜とか全然知らなかったので、時間が限られていたとはいえ、本当に大社を見るだけになってしまったのが我ながら勿体無い。

出雲市から電車に乗り、日本海に沈む夕陽を車窓から眺め、この日は東萩駅近くに宿泊。

3日目:萩と錦帯橋

8時過ぎに宿を出て、駅前でレンタルサイクルを借りる。思っていたよりも相当ボロい自転車で、漕ぐたびにギシギシなる系だった。

まず向かったのは萩城址。別名、指月城。
明治の初めに建物は全て解体され、今は石垣とお堀、そして志都岐神社の広大な境内が公園として整備されている。

9時ごろに、城下町へ移動。高杉晋作や木戸孝允生誕の地など、有名どころを見て回る。
町中は夏蜜柑が多く、その印象が強く残った。

お買い得品、と店頭に並んでいた萩焼の色合いに惹かれて、湯呑みを一つ購入。

ぐるっと見た後は東萩駅の方へ戻り、松陰神社へ。写真は松下村塾。

時代を動かす火種が生まれた場所がある町に暮らすと、どんな歴史の授業を受けるのだろうか。
どちらかというと旧幕軍寄りなもので、なんとも複雑な気持ちで萩の街を回った。

11時に再び電車に乗る。まだまだ続く山陰本線、ではあるが、時間の都合で長門から美弥線で一気に瀬戸内へ出て、山陽本線へ。穏やかな海のすぐ向こうに島影が見える、今までに見たことのない景色が広がっていた。
西岩国駅?からバスに乗り、錦帯橋に到着したのは16時過ぎ。

今まで見た橋の中で、一番美しい。
それは今でも変わらない。
木造。真下から見上げる橋桁は、規則的な木組に惹きつけられる。

向こう岸の山頂に見える岩国城へは、ロープウェイを使って行けるのだが、時間的に登ったらすぐに降りないと帰ってこれない感じだったので断念する。
麓で展示されていた白蛇を見て、猫と戯れて、山際に陽が沈むのを見届けて17時過ぎに退散。

この日は広島まで進んで宿泊。貧乏な学生一人旅でも少しはご当地グルメを食べたいので、駅前のスーパーで買ったお惣菜売り場のお好み焼きを宿でもそもそと食べた。

4日目:厳島神社と広島

4日目は早起きして、7時過ぎには広島港へ向かい、フェリー乗り場へ。目指すは宮島。

宮島上陸後真っ直ぐに厳島神社へ。

朱色が鮮やか。板張りの回廊を進むととても雅な気分になる。自然の光が織りなす陰影の中で、提灯から漏れる光が幻想的で厳かな空気を作り出す。

干潮タイミングだったのか、徐々に潮が引いていった。行ける範囲で鳥居まで近づくと、足元にはヤドカリがモゾモゾしていた。

厳島神社を後にすると、鹿が朝のお散歩をしていた。

続いて豊国神社千畳閣へ。
857畳分の広さがあるだけでなく、特大しゃもじも祀られていて、なかなか面白い所だった。

お土産にバラ売りのもみじ饅頭を二つほど買い、9時半に宮島を後にする。

11時に原爆ドーム着、資料館を見学。

14時に広島城へ。
別称、鯉城。原爆で城郭は倒壊。復元されて中は博物館となっている。広島が城下町だったとは、この時まで知らなかった。

続いては尾道、の予定だったが、なんだか体調が優れなかったので予定変更。この日の宿である岡山まで行き、さっさと就寝。

5日目:岡山と倉敷と尾道

体調復活。
8時過ぎに宿を出て岡山城へ向かう。駅前から歩くと結構遠かった。

川を挟んで後楽園の対岸にある岡山城、別称烏城。
勢い余って早くに行ったはいいが開門前で入れず。外から眺めて、開園済みの後楽園へ。

さすが三名園に数えられる大庭園、広い。城から見下ろす庭園もさぞや景観だろうと思いながら、朝からお抹茶と吉備団子で一服。
10時前に後楽園を出て岡山駅へ。山陽本線を戻り、倉敷に向かう。

美観地区に着いたのは11時。

水のある景色って素敵だな。
町並みをぶらつき、ランチを食べ、14時過ぎまで堪能。再び駅に戻り、山陽本線をまた西に進む。

16時前、前日に諦めた尾道へ。進むのではなく戻る形となったので、移動時間は往復分かかる。
時間制限は20分。階段を少しだけ登り、海岸線まで降りて、駅へ引き返す。尾道ラーメンも、猫にも出逢えず。それでも尾道の地を踏んだという経験を残せた。

尾道から姫路まで。途中車窓から福山城を見上げる。なんか、毎日お城見てるなと、やっと気づく。

姫路で降りて、青春18きっぷは役目を終えたが、旅はあと少し続く。

6日目:姫路城と神戸

最終日の朝。9時に姫路城へ。

白鷺城の名の通り、白壁が光に映える。残された建屋も多く、城郭は戦に備えていることが素人目にもよく分かる作りとなっており、巡っていて面白かった。

10時半に姫路城を後にする。青春18きっぷは使い終わったので、普通に電車に乗り、12時前に三宮へ。
ライバルとして戦友として、距離は離れてはいても切磋琢磨し合った他大学の部活仲間である友人と待ち合わせをしていあ。
ランチを食べ、北野異人館街・三宮センター街・南京町・ポートタワーへと案内してもらいながら、近況報告と部活や遠征時の思い出話に花を咲かせた。

最後どこまで付き合ってもらったかは覚えてないが、神戸から再び夜行バスに乗り、帰路についた。

* * * * *

6日間の青春18きっぷを使った一人旅は、こうして幕を閉じた。

当時はまだ旅先の観光地の写真ばかり撮っていて、どんな車両に乗ったとか、何を食べたとか、町並みがどうだったとか、振り返った時に面白い景色を撮ることを、まだ知らなかった。バイトしてたとはいえお金もそんなにないから、安宿でご当地グルメもあまり手を出せなかった。行った先の近くに、他にもこんなところがあったのに、という調査不足と知識の少なさ。
そう感じるのも、この過ぎた年月の経験によるものであって、当時はこれが考えうるベストだったわけで。

この一人旅で、少しずつではあれど中国地方各県を回ったことは、その後の人生に絶対に役立っていたと言えるだろう。(具体的にどうとは言えないが)
今、6日間の旅に出ろと言われたら、長期滞在型の旅を選ぶかもしれない。その時々で求める旅のスタイルは変わっていくから、早く行きたい時に気軽に出掛けられる日々が戻ってきてほしい。

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