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才能の種・・・。(言葉編)

私には才能がない。
地頭がない。
◯◯ちゃんは頭いいから。

正しいかもしれない。
間違っているかもしれない。

口に出した時、
それは本当になる。

今日はこんな話を。

塾の職員をしていたとき
「〜〜先生って頭いいからさぁ〜」
本音も、本当も
どちらも答えは「No」である。
頭の回転も鈍く、
偏差値も低い。
私が通っていた大学は偏差値表で最底辺から上昇する気配もない。
気配は消えるのではという一抹の不安のみの地方大学。
高校時代も、成績は中の下努力はできず毎日はとりあえずですぎていく。

合言葉は「まあ、いいや」

これが私の人生だ。
学歴がコンプレックスで、努力できない自分が嫌い。
自分のこともわからず、
いつも過小評価している(過大かも…。)

人に誇れることは自分では見つけられない。
これが私。

ただ、私は
たくさんの保護者にあい、
たくさんの生徒に出会った。

誰かのために動いている自分が好きで、
誰かのために自己犠牲している自分が好きだ。
これはずっと変わらない。

できているかは置いておいて
常に誰かに必要とされていたい。

多くの親子に会ってきて思う。
今日は親子さんに(私も含む)

子供は見ている。
子供は聞いている。
子供は必ず真似をする。
人生も、職業も、言葉も仕草も。

どんなに仲の悪い親子でも、
どんなに仲の良い親子でも。

だから
言葉って大事だ。

面談をしていると
「うちの子はほんっとにバカだから」
「うちの子は本当に何にもしないんで…。」
「うちの子やればできるんです…。」
言う。

人前で貶されると言うことは心をえぐり、心を蝕む。
人前で褒められると言うことは自己肯定感を上げまくる。
上げすぎだってダメなんだ。
自分の息子や娘には客観的でなければならない。
ダメなものはダメ、自分ができたかどうかは置いておいて
できているものは褒め、できていないものはできてないという。
そこで貶してはいけない。

成長のためには、「しましま」が必要だ。
褒めることと指摘すること。
これをしましまに。あんこに、塩を入れるように、
お味噌汁に、小さじ半分の砂糖が味を引き立たせるように。

人間だから貶してしまうこともある。
そしたら褒めてあげればいい。
調子にのせたら
褒めてあげればいい。

どちらかでもダメだ。
どちらも。

やりすぎたら謝る。

それが大切。

出たものには指摘をせずに
次の約束をする。

バカみたいに信じてあげて
バカみたいに一緒に泣いてあげる。

一番難しいけど、一番大切な子育てなのかもしれない。

私は、面談の時
執拗に子供を褒める親には、指摘をする。もちろんその後褒めるけど。
子供を貶す親には、小さく指摘をしたあとその子を褒めまくる。親が引くほど。タダじゃ返さない。
それが私の流儀www。教育者失格なのは分かっている。

偏差値撃引くのバカ親父は誰かのために悩み、
誰かのために走る。


自信がないこれを読んでる人へ。
ダメでいい。
だめだって思っているということは、他人を受け入れている証拠だから。
その懐の広さは素晴らしい。
逃げていい
逃げたいのはむきあっている証拠だから。

一番良くないのは無関心。

そうじゃない君は、
誰よりも素晴らしい。

私だけは信じる。
頑張れるっていう
もう少し頑張りたいっていう
変わりたいっていう

君を。

大阪に向かう新幹線の中で。


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