5円玉




日本語は難しい。






僕が特に難しいと思うのが『日本語の受け取り方の違い』だと思う。





例えば、了解という言葉。





友達同士のLINEなどで使う分には了解は分かったよという意味だけでそれ以上でもそれ以下でもないだろう。





しかし





目上の人にメッセージなどでのやりとりの中で了解。



送った側は分かりましたの意として了解と打つだろうが、受け取った側は分かりましたの意味+ん?あれなんか妙だな…みたいな余計な感情が入るのではないだろうか。




もちろん入らない人もいるだろうが上下関係を重んじる人は少し引っかかることもあるかもしれない。





こうなると目上の人から「了解って何?」という返しが送信者に来る可能性だってなくはない。





送信者側からすれば、ただ分かりましたという意味での了解だから「この人は何言ってんだ?」となり、この目上の人=面倒くさい人というレッテルが貼られることになる。





こうなってしまうと最悪、関係が崩れることにもなりかねない。






僕は今日のアルバイト中、お客さんが5円玉を落としたので「5円落としましたよ。」と言った。




ああどうも的なスタンスのお客さん。




しばらくして僕は思った。





僕は「5円落としましたよ。」というそれ以上でもそれ以下でもない、ただ5円落としたという事実をお客さんに教えた。




しかし






「ご縁落としましたよ。」





この受け取り方もあるではないかと気がついた。




こうなってしまうと意味合いが大きく異なる。 





5円を落としたという事実

+

ご縁も落としたという失礼




ご縁も落としたとは、僕は何者になったときにそれがはじめて失礼ではなく事実として意味を成す言葉になるのだろうか。






やはり日本語は難しい。





そう僕は指先のささくれを撫でながら改めて思うのであった。






















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