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【#自分で選んでよかったこと】 夜明けの、ペロペロ。

©️コニシ木の子|いつき@暮らしが趣味



_ゆ吉に捧げる。
(といっても消えゆく一万円札にではない)

なんのはなしですか?

と思われるかもしれない。
わたしも、

なんのはなしだろう?

と思いながら書いている。
でも、たまには、そういうはなしがあってもいい。
だって、この世界は、あれもこれもきっちりし過ぎているのだから。

というわけで、このはなしがどこへ行き着くのか気になるひと、たまには意味のない時間を過ごしてもいいと思うひとは、今日という時間をほんの少しだけ、わたしに分けていただきたい。
(たっぷり10秒待つ)


ありがとう、感謝する。

最初は、選択のはなしだ。

人は一日に、約30,000回の選択をして生きているという。
目覚めてから、寝入るまでに、小さなことから大きなことまで、まるっと、選択につぐ選択をしている。

生きるための、30,000回だ。

個体差はあるだろう。
それでも、地球上の81億人が、日々、そうやって生きているのなら、そのこと自体がひとつの奇跡のように思える。

その奇跡を構成している一粒の粒子は、わたしにも平等にやって来る。
それは、ベルトコンベヤーに乗ってやって来る。

#1:起きますか/起きませんか
     ⬆︎
#2:布団から出ますか/出ませんか
             ⬆︎
#3:目を閉じますか/閉じませんか
     ⬆︎

二度寝を選択するわたし。←いまここ。
noteを書く選択肢は消失する。
今日のところは勘弁してやろうではないか。
スチャと、刀がわりのスマホを枕元に投げ置く。
そして、わたしはふたたび夢の中へいく。
二度寝の入り口で星野源が満面の笑みをして手をふっている。

zzz...

こんなふうに、人生には分岐点がある。
選ばなかった方は、想像するしかない。
時として、ひとつの選択が、天国と地獄をわけることにもなる。
後から、わかることである。
いや、後からしかわかないことだ。

いまだから言える。
あの日、あの時、あの場所で、わたしが選んだ選択は、天国と地獄をわける分水領だった。
わたしの行き先が、天国だったのか、それとも地獄だったのか。
判断は、記事を読み終えた読者に任せる。

ひとつ断っておきたい。
この記事があやしげなタイトルだということは、承知している。
句読点の間からもれ漂う淫猥な匂いに誘われて覗いてくれた紳士淑女も、一定数いるだろう。
しかし、残念なお知らせです。

これは猥談ではありません。
ご期待に応えず、申し訳ない。

舌打ちをしてnoteを閉じようとしているあなたを、直接、引き止めることはしない。
本音で言うと、引き止めたい。
だから、間接的に引き止めることにする。
ここは百恵ちゃんの力を借りよう。

ちょっと待って。プレイバック!


これからわたしが語るのは、ある集団のある流派に属した者たちへの忠告でもある。
その流派に属する者には、願わくば、子々孫々、語り継いでいただきたい。
なぜなら、人生を左右する教訓となるからだ。
誤解を恐れずに言えば、これは、小惑星衝突の危険よりも、はるかに大きな危険を孕んでいる。

本当に?と問われると自信がない。
さすがに小惑星は言い過ぎたかもしれない。
いや、言い過ぎだ。
きゅぅと腹がすぼまる。
弱気になるわたし。
せめてカラーボールくらいにしておこう。

言い直します。

これは、宇宙から飛来したカラーボールが地球へ衝突するくらいの危険を孕んでいる。

それがこの『夜明けの、ペロペロ』である。


さて、ここからどう続けよう。
書き出しで迷子になっているわたしの目の前に、選択肢が、ボワっと表示される。
疲れ目で霞みがちな眼をこすって選択肢をみる。

#4:ラクスル/ラクシナイ
   ⬆︎
#5:リスペクトする/リスペしない
   ⬆︎
#6:ミーハーなやつ/じゃないやつ
   ⬆︎

はい、きた、これ。
ならば、書き出しは、こうだ。

吾輩は人間である。名前はまだ言えない。
吾輩は猫を飼っていた。実家暮らしの頃だ。
その猫の名は、ゆ吉、といった。

(誰もが知る名作を、誰でも思いつく引用でいくことを許してほしい。先生、わたしに文才はありません。せめて、ひと笑いをお恵みください。懺悔はこれで良し。)

ゆ吉は、元々、野良猫だった。
白と黒のハチワレが特徴の猫であった。
その白と黒のハチワレの野良猫が、わたしの前にふらりと現れるようになり、いつしか実家に住みついた。
そして、ゆ吉となった。
わたしが、勝手に、そう名付けた。

これは、ゆ吉の物語である。
これは、ゆ吉に対するわたしの選択がもたらした物語である。

当時のわたしは愛猫家ではなかった。
幼い頃、犬を飼ったことがあり、どちらかと言えば、犬の方が好きだと自覚していた。

わたしは、
猫に対する愛情から写真集を出してしまう脳科学者や、
愛猫を失った喪失体験から息ができなくなる直木賞作家や、
愛猫家の神曲『猫になりたい』ほか猫曲を次々と世に出す音楽家の気持ちがわからなかった。

だから、ふらと現れては、
つと去っていくゆ吉に対する愛着は、
特になかった。

それに、わたしの実家はボロ屋であった。
ボロ屋のわたしの居住いはさらにぼろい。
トタン屋根の納屋の片隅に間に合わせで作られたオンボロ小屋が、わたしの生活空間だった。
机と本棚と簡易ベッドが置かれただけの小屋。かろうじて電気は通じていた。
電化製品は、裸電球と扇風機、以上。
(ああ、確か、中学で作ったスタンドライトもあったか)

これは昭和の話ではない。
   平成の話をしている。


夏は、蒸し風呂のようになり、雨が降れば当然のように雨漏りする。
冬は、室内でも氷が張り、木枯らしが吹けばトタン屋根が夜通しけたたましい音をたてる。
春と秋には、名も知らぬ虫たちの宴会場となる。

そんなわたしの小屋を、
友人は、洞穴、と呼んでいた。
むろん、異論はない。


であるから、ゆ吉にしてみれば、縄張りのひと区画だったのかもしれない。
だとすれば、わたしの方がよそ者である。そう考えると、威嚇することなく、一応、客として扱ってくれていたゆ吉は、懐の深い猫だったのかもしれない。

きちんと閉まらないドア(というか戸)の隙間からやって来ては、座布団や掛け布団の上で丸まる。
小腹が減ったわたしが、ツナ缶を醤油とマヨネーズで味付けして食んでいると、目を見張るようにして近づき、「ニャ〜(食わせろ)」と催促する。
仕方がないので箸でつまんでやると、「フニャ〜(もっと食わせろ)」と猫パンチを繰り出してくる。
たまにドア(戸)がうまく閉まっていると、「ウニャ〜(あけろ)」と猫撫で声を出す。
仕方がないので開けてやると、礼も言わずに上がり、ゆっくりと定位置に陣取る。

可愛げのないヤツめ。

春先、しばらく見ないと思ったときには、子猫を何匹も産み育てていた。
しかも、三度も産んだ。
なんと、ゆ吉は、雌猫であったのだ。
そうとも知らず、ゆ吉などと名付けてすまないという気持ちがあったのだろう。どこかで捕まらぬようにと、赤い首輪をつけてやった。
晴れて飼い猫になったわけだ。

とある日に、事は起こった。
そして、わたしは、あの選択を迫られることとなった。


おだやかな夜だった。
冬にしては北風も吹かず、雪も降らず、しずかな夜であった。
部活をし、バイトをし、家路に着いた。
わたしは疲れ果てていた。
家に帰ると、飯も食わず、風呂にも入らず、ベットに横たわった。
すぐにうとうとし、そのまま寝入ろうとしたときだった。

ガリガリガリ。
ガリガリガリ。

戸を掻く音がした。

ガリガリガリ。
ガリガリガリ。

ふたたび戸を掻く音がした。

ウニャ〜。

(ゆ吉、か。)
(悪い、今夜は閉店だ。)

ウニャ〜。ウニャ〜。
ウニャ〜。ウニャ〜。

(やれやれ。)
読んだばかりの村上春樹の台詞をまねる。
影響されやすいわたし。

(こんな夜はなにか起きそうだ。)
すっかりハルキなわたしは、ずんぐりと起き上がり、戸を開ける。

ゆ吉が、ちょこんと座っている。

まるい目が、わたしを見る。
うすい目をしたわたしが、ゆ吉を見る。
いつものようにゆ吉が小屋に入る。

ニャ〜(はらへった)。

(やれやれ。)
小屋に残っていたツナ缶を開け、鼻先に置いてやる。
ゆ吉は、さも当然のように、それを食う。
きれいに中身を舐め尽くして空になると満足したか、ひょいとベッドの上に乗り、まるくなる。

(こいつ、寝る気だな。)
すでに、エンプティランプが点灯しているわたしも、ベッドに倒れ込む。
おたがい次の瞬間には、深い眠りへと落ちていく。

◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️
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            🏡💤


夜が明ける。

意識はまだ夢の中だ。
わたしは何かに頬をくすぐられる。
微睡むわたしには、それが何だか分からない。
遠くで誰かの声がする。
聞き覚えのある声だ。
再び、頬をくすぐられる。
それは、一定のリズムを刻んでいる。

ペロペロ。
ペロペロ。

(ああ、ゆ吉か)

ペロペロ。
ペロペロ。

(おまえ、俺に懐いてたのか)

なおも続く、夜明けの、ペロペロ。
わたしは眠気とくすぐったさで、穏やかな気持ちになる。
ずっとこうしているのも悪くない。
昨夜は、ゆ吉にツナ缶を与えた後、そのままベッドで一緒に寝てしまったことを思い出す。
ゆ吉は、すっかり目覚めている。
わたしの夢もゆるゆる解けてゆく。

ニャー。ニャー。
ニャー。ニャー。

ゆ吉は何かを訴えている。
しかし、その鳴き声は、これまで聞いたことがない。

(ニャーじゃわからんにゃー)

ニャー。ニャー。ニャー。ニャー。
ニャー。ニャー。ニャー。ニャー。

ゆ吉の声は、次第に逼迫感を増す。
ベッドの上をウロウロし始める。
落ち着つきがない。
何かを訴えているのだが、わたしには判別できない。
そこに選択がやって来る。

#1:起きますか/起きませんか
           ⬆︎
#2:放っておきますか/おきませんか
      ⬆︎

(すまぬ、ゆ吉。吾輩は、おねむである。)
理解をしたのか、訴えるのを諦めたのか、ゆ吉のペロペロと鳴き声が、止む。


突如、わたしの鼻腔を悪臭が襲う。
暴力的な臭いに、グワと、鼻孔が広げられ、カッと、目が開く。

半身を起こす。
ある物体で反射した光は、わたしの水晶体を通り、視覚野へと伝達される。
人間が視覚情報を認識するために必要な時間は0.4秒である。
0.4秒後、わたしは認識する。それは、


このよにうまれてまもないほかほかのこんもりうんこであった。

初期のドラクエの復活の呪文のような文字の羅列が、わたしの頭を右から左へ流れていく。
受け流せない何かが秘められている。
わたしの脳神細胞は、文字の羅列の変換および解読に急を要する。

ヒリタテ、ホカホカ、ウンコ、コンモリ、
アリマス、アリマス、アマリリス🌻


その横で、キョトンとした顔をしたゆ吉。
悪さを自覚しつつすっとぼける無垢な瞳。

(おぬし、ひりおったな!)
(ひりおったな、おぬし!)

その日、わたしは、生まれて初めて、
夜明けのペロペロの意味を知った。
その意味を人間の言葉にするなら、

「ドア開けてニャ」

わたしの愚かさが招いた結果である。
しかし、不思議と、ゆ吉に対する憎しみは湧かなかった。
もしかしたら、わたしは、その頃から、すでに、ゆ吉に愛着を抱いていたのかもしれない。

野良猫がいつしか住み着き、そのまま飼うことになった白と黒のハチワレの雌猫のゆ吉は、
ある日、突然、家の前で車にはねられて死んだ。

にゃんと無念な事だったろう。

しかし、先代の犬が死んだときは異なり、わんわん泣くことはなかった。
元々、首輪だけつけて放し飼いにしていた猫だ。
たらふく飯は食らうし、三度も子猫を産んだおかげで一時猫屋敷となるし、しまいにはわたしが寝ている布団の上に糞を垂れる始末であった。
事故で死んだのは可哀想だと思ったが、大きな悲しみは感じていなかった。

しかし、ひと月が経ち、ふた月が過ぎると、いつもは決まった時間に小屋の戸を爪でガリガリと掻き「ウニャ〜」と合図する、それがないことに気がつく。すると、

「あぁ、あいつはもう、おらんのか」

と思いだす。
時々、ふと、音がした気がして戸を開けてみる。
しかし、そこには誰もいない。
ただ、すきま風が通るのみである。

そんなとき、
わっと、言葉にならない寂しさが込みあげた。
目頭がどうにも熱くなり、不覚にも涙した。
訳もなくツナ缶を開けた。
あげる相手などいないのにだ。
開けた手前、捨てるわけにもいかず自分で食べた。
ニャ〜という声を思い出した。
フニャ〜という声と猫パンチの感触を思い出した。
ツナ缶を食いながら、わたしは嗚咽した。
声にならない声を出しながら涙した。

(悲しくなどない。)
(悲しくなどないぞ。)
(いまさら悲しいわけがない。)

自分に言い聞かせた。
しかし、崩壊した涙腺にはとめどなく涙があふれ、頬をつたわり、こぼれ落ちた。
涙は、ぽたり、ぽたり、と床に落ち、みるみるうちに溜まっていった。
その涙の量が、悲しみの大きさを、何よりも物語っていた。

そんな形の哀しみが、半年だか一年だか続いて、ようやく「心に仕舞われる」というような経験をした。

ゆ吉の骸は、庭に植った梅の木の下に埋めてある。
梅の木は、老木だ。
それでも、毎年、春の訪れを告げるように、花を咲かせる。

その度に、わたしは、ゆ吉を思いだす。

(おい、ゆ吉。おまえ、幸せだったのか?)

小汚い小屋を棲家にして、
下卑たエサを食わされて、
甲斐性なしのあるじに飼われたハチワレ。

(おい、ゆ吉、なんとか言え。)

ニャーでも、
ウニャ〜でも、
フニャ〜でもいいのだ。

(おい、ゆ吉、おまえの声が聞きたいよ。)

(おい、ゆ吉、元気か?)
(おい、ゆ吉、メシは食ってるか?)
(おい、ゆ吉、そっちでうまくやってるか?)

(おい、ゆ吉、おまえに言い忘れたことがある。)
(おい、ゆ吉、聞いてくれるか?)



「おれは、おまえと会えて幸せだったよ。」


春の風が吹いて、
言の葉をさらった。

梅の香りがして、
鼻先をくすぐった。

雲間から光が射して、
頬に触れた。

風の向こうで猫の声がした。

鳥の啼き声か、
葉擦れの音だったかもしれない。

でも、たぶん、きっと、ゆ吉の声だ。
そんな気がした。

その声を、風が、さらった。
    、風が、さらっていった。


これが、わたしの選択が、わたしの心にもたらしたものである。

わたしのした選択が正しいものだったのか、その選択をして良かったのか、それは、いまも、わたしには分からない。

しかし、確かなことがある。

わたしは、梅の花が咲くたびに思い出す。
ゆ吉のことを思い出す。

それは、わたしとゆ吉がともに過ごしたという確かな証だ。

それで十分ではないか。
なあ、ゆ吉。

参考文献|コニシ木の子(2024)『なんのはなしですか』

使用帯画像|いつき@暮らしが趣味(2024)『賑やかし帯。-第283弾-』

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