INTJとmbtiの向き合い方と他人のタイプの話

私はmbtiなどの自己理解ツールは、基本的に自分に向けて使うようにしている。「自己理解ツール」だからだ。他者理解にも役立ててはいるが、他人を見てこの人はどのタイプだろうと考えることはない。
そもそも、人のタイプを推測することに失礼さと傲慢さを感じてしまう、というスタンスの記事なので攻撃的な表現がある。嫌だと思ったら読むのをやめてほしい。

アニメや漫画などのフィクションの登場人物の場合相手は実在していないので、一種のエンタメとして楽しむのはありだと思う。
フィクションの登場人物は作者の伝えたいことを、作者に変わって受け手に伝える役割を持つ。だから、キャラクターの表情や言動、思想には基本的に意味があると、私は思っている。
登場人物本人の隠しておきたいことも、その世界の他の登場人物には隠されるが、読者には晒される。作者のみが知っている隠された設定などもあるだろうが、基本的に登場人物の人間性を読者に隠す意味はない。
だから、登場人物の人間性を第三者が深掘りすることは、登場人物に対して失礼には当たらないと、私は思う。

だが、現実に生きている人間に対してタイプを当てはめることは、慎重に考えた方がいいのではないか。
私は、「この人のこの判断や態度はFe的な価値観だな」とは考える。「S型の世界観かな」と気づくこともある。だが、それだけの話で、ではどのタイプだろうとは考えない。私が見ている相手が、相手の全てではないからだ。
私はINTJなので、第四機能までの中にFeは入らないが、Fe的価値観に基づいて判断することもある。それを以てして、Fe主機能のタイプと判断されるのはあまりにも短絡的だ。

mbtiは考え方の癖や心の動きを丸裸にしてしまう。他人の隠しておきたいコンプレックスや弱点まで、相手に知られずに自分が知ることができるのだ。それはあまりにも怖いことではないか。
この感覚は自分を開示することに強い抵抗を感じるINTJ的な発想なのかもしれない。マキャベリストの傾向が強いINTJなら嬉々としてその情報を使うかもしれない。私も悪用することはあるが。

以前、私はINTJが嫌いな人に向けての記事を書いた。INTJに嫌われない程度にストレスを感じさせる記事だ。なぜ私がその記事を書いたかと言えば、自分が他人にそうしたことがあるからだ。
「この人はこのタイプだろうな、ならこれをされると嫌だな、他の人には刺さらないけどこの人だけにストレスを与えるには…」我ながら最低だと思うが、こういう人間もいるのだ。
mbtiはこういう使い方もできるのだ。

その人の性格によって、自分のタイプを知られても構わないという人もいるだろう。だが、私は嫌だ。
自分が開示していない情報まで相手に握られるのは嫌だ。
16タイプチャームなるものが発売されたらしいが、自分のタイプのチャームをつけて街を歩ける人はいるのだろうか。私は商品開発した人の神経を疑う。どうせ自己開示に抵抗を感じない陽キャの発想だろう。買わないのでどうでもいいが。

自分の価値観や人間性や弱点に対しては、いくらでも深掘りすれば良い。自己理解ツールをいくらでも使えばいい。バックパック抱えてインドに行かなくても、自宅で座ったまま無料でリスクなしで自分探しができる。
そもそも生まれてからずっと付き合い続けている自分でさえ、未だに知らない自分がいるのだ。自認が揺らいでいる人もいるのだ。他人のタイプを判断できるわけなかろう。それでも判断したい判断できると思うのは、あまりにも傲慢すぎると私は思う。

私はnoteではINTJゴリ押しタイトルで記事を書いているが、現実ではINTJだとは言っていない。
「私は〇〇だけどそっちは?」と聞かれても、そういうの興味ないと言って答えない。相手が勝手に自己開示したのだ、良くも悪くも利用させてもらうことにしよう。
INTJはフィクションでは悪役に回ることが多いが、こういうところなのだろうか。

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