INTJと自分と自分らしさの話

「自分がない」「自分らしさってなんだろう」
若かりし頃、よく聞いた話。
私は、子どもの頃から我の強い人間だった。だから、この手の悩みを持ったことがない。むしろ、自分の塊だった。

若い頃、20代前半までは「若いからね、これからだよね」と思っていた。遅れてきた思春期と言うべきか、社会に出たばかりで自己が揺らいでいると言うべきか。とにかく若いからだと思っていた。

私は先に書いたように、自分がないことや自分らしさで悩んだことはない。だから巷で言う「自分らしく生きよう」という言葉を鼻で笑っていた。
自分らしく生きようと心がけないと実現できない自分らしさなんて意味がないと思っていた。正直に言えば、今でも思っている。自分らしさで悩んだり、自分らしく生きられないと嘆く今のあなた自身こそが、本当の自分らしい生き方だろう、と。

つい数年前、私よりも年上の人たちが「私って自分がないんだよね」「自分らしく生きられていない気がする」と言っていた。衝撃的だった。
その手の悩みは思春期で終わるものではなかったのか。その人たちは永遠の思春期人間のような痛い人たちではない。立派な大人だ。だからこそ、衝撃的だったのだ。今の年齢までその悩みに出会ったことがなかったのか、と驚いたのだ。

では、私にとっての「自分」「自分らしさ」とは何か。改めて言葉にしようと思うと、なかなか上手い言葉が見つからない。
理想の自己像を持っている、ということになるだろうか。こういう自分になりたい、という憧れのことだ。そこに近づくために自分にルールを課したり、自分なりの美学を見つけたり、なんちゃって人生哲学を作り上げたりする。

自分らしく生きるということは、自分の軸がブレないということだと思う。自分なりの目標さえ見失わなければ、軸がブレようはずもない。私は、理想の自己像を掲げることによって軸がブレずに生きていられるのだろう。
比較対象は常に未来の自分になるため、人と自分を比べることもしなくて済む。人に何かを言われても、参照すべきは今の自分の判断ではなく、未来の自分になる。だから影響されにくい。
あくまで私はこうだ、というだけの話だ。

ところで、偉そうに自己像がどうだと語ったが、いいこと尽くしとはいかない。どんなことにも欠点はある。
私の場合、言ってしまえば理想の自己像に強烈な恋をしているようなものだ。目標も目的も自分に向かっている。だから、他人に影響されにくいという利点はあるものの、自分の世界から他人がいなくなりやすい。傍若無人、傍らに人無きがごとしとはよく言ったものだ。
INTJの欠点に拍車をかけることにもなりかねない。

私は自分の生き方は好きだ。だが、自分一人の世界を見続ける人より、「自分がない」「自分らしさがわからない」と悩む人の方が、遥かに人間らしい。
我が強く気の強い性格も相まって、かなり気難しいオーラを出してしまっているのではないかと思う。そんなところも尊敬する夏目漱石に少し似ている気がして喜んでしまう。救い難い。

ここからはサンプル数の少ない精度の低い分析。
私が知る限り、「自分がない」「自分らしさがわからない」と言う人は、F型だ。そして他人軸だ。さらに、母性が強い。自分よりも他人を優先したり、他人の意見を取り入れるあまり、自分の本当の考えや気持ちがわからなくなっているのかもしれない。
F型の他人軸が必ずしも自分がないわけではないだろうから、他の要因があるだろう。何か他の共通点はあるだろうか。寂しがり屋くらいか。
その辺りの考察を深くしていくのも面白いかもしれない。

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