INTJが「自分がされて嫌なことは人にしない」は非常識だって吠える話

この言葉が人生で登場し始めるのは、ある程度言葉を理解できて他の子どもと遊ぶくらいの年齢だろう。それから、人生の中で何度でも出会う言葉だ。
私はこの言葉が、常識面して人生に度々登場することに腹を立てている。別に孔子には腹は立ててない。

「自分がされて嫌なことは人にはしない」
これの最大の欠点は、「自分はされても嫌じゃない」の一言で全てがひっくり返されることだ。

もちろん、相手に想像力が足りてない場合もある。「相手が同じことをしたらどう思う?」と聞かれて、相手はそんなことはしない、そんな状況にならない、と答える人だ。こういう人は、人に同じことをされて「これで相手の気持ちがわかったでしょ」と言われると、嫌がるのをわかっていてやるのは酷いと喚き出す。3歳児と同じだ。

そうではなく、人にされて嫌なことなど、人それぞれだ。私は電話が嫌いだし、突然遊びに誘われるのも嫌いだ、お風呂やトイレに入っている時に緊急でない話をしに来る人も嫌だ。具合が悪い時にアレコレ言われたり聞かれるのも嫌だ。恋人に奢られるのも嫌だ。
でも、どれも気にならない人なら気にならないだろう。だから、「されて嫌なことは人にしないのは常識でしょ」といったところで、相手は何が気に障ったのか分からなくてポカンとするばかりだろう。

例えば、岐南町の99のセクハラ町長が話題になった。私はたとえ恋人でも頭ポンポンは嫌だ。上司なんてもっての外だ。でも恋人やイケメンならアリの人もいるよね、と話したら、上司でも気にならないと言った人が複数人いた。その時話していたのは、全員女性だ。して欲しいとは思わないし嬉しくもないけど、それセクハラなの?と。

例えば、不機嫌ハラスメントというのがある。不機嫌な態度をとることで相手を不快にさせることだ。私はこれが全く気にならない。相手の機嫌によって態度を変えるということ自体をしないからだ。
職場の雰囲気がギスギスしていても、全く気にならない。そもそもそんなことに気づかないからだ。
だけど、嫌な人はこれをとてつもなく気にする。

要は、自分がどう思うかではなく、相手が嫌だと言ったらすぐにやめるべきなのだ。たとえ自分が全く気にならなくても、善意からしたとしても、悪気がなかったとしても。

「自分がされて嫌なことは相手にはしない」という言葉は、そもそも構成員全員が同じ価値観を持って、同じことを嫌だと認識していなければ成立しない考え方だ。そして、そんな状況はありえない。家族であっても。
物盗まれたり殴られたら誰だって嫌でしょ、と言われるかもしれないが、それは相手がどう思うかではなくそもそも犯罪だ。嫌かどうか関係なくしてはいけないことだ。

この言葉を許してしまうと、「自分の嫌なことはみんなも嫌だ」「自分が嫌じゃないことはみんなも嫌じゃない」という考え方に繋がってしまう。
だから、「自分にとって嫌なことをされた=相手に悪意がある」とありもしない悪意を自ら作り出してしまうことにもなる。
そして、自分は嫌じゃないと言われた時に、無神経だ、非常識だ、世間知らずで教養がないと、相手への人格否定にも繋がってしまう。

「自分がされて嫌なことは人にしない」という考え方は、ものすごく傲慢で自分本位な考え方だと、私は思う。
わざわざこんなことは言わずに「相手の気持ちを考えましょう、想像しよう」でいいのではないか。

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