【INTJ】人に期待しないという話

私のフォローしている、素晴らしいクリエイターさんの記事。

INTJの苦悩や悩みがわかりやすく書いてある。お近くにINTJがいる方にはぜひ読んでほしい。
私はこの記事に書いてあるように、「考えてないって何」「少し考えればわかるでしょ」と思い続けて生きている。イライラしながら。

自分なりに結論は出した。
考えることは運動と同じで、普段からの訓練が大事なのだ。普段全く運動をしていない人がいきなりフルマラソンを走れるわけがない。同じように、普段考えていない人が、突然考えられるようにはならない。
以前、読書感想文の記事で児童書などの簡単な本を勧めたのも、普段本を読んでいない人は読書に必要な基礎体力のような要素が身についていないからだ。

INTJは常に考えているし、閃いている。だから、仕事においても勘がいいし、「少し考えればわかる」と思いがちなのだろう。ただ、わかっていても、イラつきはするのだ。
巷では、「人に期待するとイライラする」「期待をやめればイライラしなくなる」という。私は人に期待しているからイラつくのだろうか。

「前回のミスと同じようなパターンだから、注意喚起しなくても大丈夫だろう」
これは確かに期待だと思う。パターンの認識はそもそもNT型の得意とするところだ。他のタイプがどう認識しているかはわからないが、得意な人の基準を求めたら水準が高すぎるのだろう。
注意喚起をするべき場面だと思う。

そもそも期待とは何か。期待しないとは何か。私はここがイマイチわからない。
仕事において、新人や初めてやる仕事ならまだしも、ある程度の経験を積んだ人に対して過不足ない評価の成果物を仕上げるよう望むことは、期待なのだろうか。私のできて当たり前の基準が高すぎるのだろうか。
誰かに仕事を頼む時、マイナスの評価がつくような成果物が出来上がることを予測して頼むべきなのだろうか。

私は未だに人に期待しないという意味を掴めていない。仕事がどれだけ忙しくても人に頼まず、自分の仕事は自分でやりたい。だから、そういう意味では人に期待はしていない。
少し気を利かせて人が仕事をやりやすくすることも期待していない。だからこそ、私が気を利かせた時に、私の仕事が輝くのだ。

「何も考えていません」という人に考えることを期待しない場合、その人はもう成長する見込みはないと判断するということだと思う。
成長が見込めない人に仕事を任せるのも、教えるのも真平ごめんだが、実際はそうはいかない。仕事をさせなければ、教えなければ、評価が下がるのは私だ。それは勘弁してほしい。ただでさえ少ないボーナスがさらに下がってしまう。

考えさせるように指導すればいいじゃないかと思われるだろうが、私にはその根気がない。
質問を受けた時「どうすれば、何を確認すれば、それがわかりますか」と尋ねれば、その時だけは考える。だが、その時だけだ。また同じような質問を何度も繰り返す。質問は入社2年目の最若手ですら聞かないような内容だ。
さっさと答えるか、前にも答えたと吐き捨てて他の人に質問させる方が早い。ちなみに私の職場の考えない人は、私より4倍長くこの会社にいる。処置なしだ。

できないことはわかっている。考えていないこともわかっている。私の先輩たちは手を変え品を変え指導をしてきた。だが、考えない人は考えない人のままだった。
それでもイライラするのは、私がまだ期待をしているからなのだろうか。私の方が考えることを放棄したくなる。私とてイライラしたくてしているわけではない。心穏やかに過ごしたい。
僧侶にでも相談したら何かのアドバイスがもらえるだろうか、とも考えた。

私はまだまだイライラしながら生きていくことになりそうだ。これでも相当、相手の言動の予測はつくようにはなったが、まだまだ修行が足りないということだろう。

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