頭のいい人は教えるのか上手いって本当?って話

よく聞く「頭いい人は教えるのが上手い」という言説を私は嘘だと決めつけている。
教えるのが上手い人がある種の賢さを備えている、ということなら納得できる。だが、私には頭のいい人が教えるのが上手いとは思えない。
私は頭の出来はよろしくないが、自慢ではないが何かを教えてと言われてことはある。自分自身が教えるのが下手だから大抵は失敗に終わる。

だが、これなら教えられる、と自信があるものもある。例えば、逆上がりだ。
私は運動音痴を極めている。縄跳びの二重跳びは生まれて以来跳べたことがない。逆上がりができるようになったのも、中学生になってからだ。
なぜ、運動音痴なのに逆上がりなら教えられる自信があるのか。

努力をして覚えたからだ。逆上がりのコツで「地面を強く蹴り上げる」と言うが、私はそれより鉄棒を胸に引き寄せる、胸と臍と腿で鉄棒を包み込むような体制を作る方が重要だと思う。
最初は鉄棒に巻きついたまま逆さまの姿勢で止まるが、その姿勢が作れなければ逆上がりはできない。
視線や地面を蹴り上げるのはその後でいいと私は思う。
運動が得意な人は、努力しなくても逆上がりが簡単にできる。だから、地面を強く蹴り上げれば自然に回れると思うのだろう。

逆に、教えられない自信がある分野もある。
今まで教えてと言われて困り果てたのが「歴史の勉強」「現国の試験勉強」「運転免許の学科試験」だ。どれも私は努力をせずにある程度できた。
だから私にとっては「テキスト読めば書いてあるでしょう」となってしまう。わからない人が何がわからないのかが、私にはわからないのだ。

頭がいい人は、頭がいいから努力せずに覚えられたことも多いのではないかと思う。
運動ができる人がやってみたら自然に逆上がりができたように、考えるまでもなくやってみたら理解できた、わかった、上手くできた、という領域が普通の人より多いのではないか。
だとしたら、むしろ普通の人より教えるのは下手なのではないかと思う。

さらに言えば、噛み砕くことなく物事を理解できてしまう人たちは、他人のために上手く噛み砕くことができるとは、私には思えない。
例えば「◯号線を東に行って◯号線を北に30メートル」という説明をする人は、頭の中に地図を搭載してない人のために全く噛み砕けていない。方向音痴はこうは説明しない。
「郵便局とバーミヤンがある道の薬局の近くのファミマの前で左折して、スーパーの少し先まで歩く」という説明ができるのはむしろ方向音痴だ。わかりやすい説明かは別として、初めて訪れる人や方向音痴にはイメージしやすいだろう。

そもそも、なぜ「頭のいい人は教えるのが上手い」と言われるようになったのだろう。
IQが20違うと話ができない、という言説が嘘が本当かはわからない。だが、極端に頭の出来が違うと相手のことを理解できなくなるから、だと私は思う。頭の出来という言い方は語弊があるかもしれない。
特定のことがものすごく得意な人と苦手な人は理解し合えない。
だが、自分が出来ない側だと認めるのは辛いから、自分に理解できない話をする人を「頭がいい人は教えるのが上手い、あの人は下手だから頭が良くない」と思いたいだけなのではないか。

勉強に限らず「人に教えることで理解が深まる」ということはあると思う。
だから、仕事などでは中堅層が若手の指導に当たることが多い。指導力の育成だけが目的ではないと思う。若手に教えることで、仕事の理解を深めることも期待される。だが、時として悲劇が起こる。
理解する気のない人間の存在だ。

「あの先輩、教えるの下手なんすよね。頭悪いんじゃないすか…?」
新人よ、それは一人前に仕事ができるようになってから言った方がいい。

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