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弥生人は、なぜ縄文に回帰しなかったのか

縄文を知るにつれて、弥生人に対する疑問が湧いてくる。というのも、弥生人がはじめた水田稲作による大規模農業を基本とする社会システムは、多くの弥生人にとってデメリットしかなかったからだ。

弥生式社会システムのデメリット① 不健康になった

米をメジャーフードとして作りはじめた弥生人は、多くの栄養源を米に頼るようになり、動物性タンパクやビタミン・ミネラルが足りなくなってしまい「糖質ダイエット!」「もっとタンパク質を摂ろう!」と警鐘を鳴らされている現代人と同じ悩みを抱えることとなった。

しかも、稲作はその年の天候によって豊作になることもあれば、運が悪く凶作となってしまうこともある。凶作となってしまうと、多くの労働時間を稲作に費やしてしまった弥生人は他の食料を手にすることができなくなり、飢饉を迎える。弥生人はそうならないように毎年天に祈り豊作を願ったが、運よく豊作の年であっても「今年はたまたま良かったが来年はどうだろうか」と常に将来の不安に苛まれていた。

縄文人もクリやイネなどの栽培は行っていたが、基本は狩猟採集で食料を賄っていたため食べられるものは何でも食べた。豊作も凶作もなく「その年に採れたもの」がそのまま食卓に並び、何かが不足すれば何かで補い、特定の食料に頼ることなく、気ままにバランスの取れた食生活を行っていた。常にあるものを食べ満足し、都合が悪くなったら移動を行なっていたので、縄文人は特に将来に対する不安はなかった。
また、労働時間も弥生人より縄文人の方が大幅に少なかったとも言われている。

弥生式社会システムのデメリット② 疫病が増えた

結核や天然痘などの深刻な感染症を持ち込んだのは弥生人と言われている。また、水田を管理する必要があるため縄文時代よりも大人数が水田の周りに密集し、水田は湿地帯に作る必要があったため病を媒介する蚊やネズミなども大量に発生した。弥生人の生活スタイルはパンデミックを引き起こす要素がてんこ盛りだった。

対して縄文人は、日当たり・風通しの良い高台を好んで住み、環境の変化に応じて移住を繰り返しており、感染症が蔓延して集落が全滅するような環境になかった

弥生式社会システムのデメリット③ 格差が生まれ、戦争がはじまった

稲作がはじまり、時間をかけて耕した肥沃な土地や収穫物が蓄えられるようになると、それが「富」となり、富を支配する権利を持つ王族階級が生まれ、格差社会を形成した。お互いの富を奪い合うための戦争も多発し、その結果集落同士が結束して「国」という巨大な集団組織に発展した。

対して縄文人は、奪い合うほどの富を蓄積しておらず、足りないものは集落同士で平和的に物々交換を行っていた。縄文人の集落は全員がクリエイターの集団であったため、仮に奪われたとしても、土地を移動してゼロから集落を再形成することも容易であった。

縄文を捨てたことで日本人はわかりやすく不幸になった

まとめると、縄文時代の狩猟採集文化を捨てて稲作を取り入れた弥生人は、労働時間が増え、不健康になり、病に苦しみ、格差に苦しみ、戦争で多くの命を落とした。縄文を捨てたことで弥生以降の日本人は多くの不幸を抱えることとなってしまった。ここまでわかりやすく社会が悪くなると、素朴な疑問が生まれる。

なぜ弥生人は、縄文へ回帰しなかったのか

「なんか稲作つれえ!もう稲作を辞めて、縄文に戻ろう!」とイノベーションを起こす弥生人がなぜ現れなかったのかと疑問に思う。しかしそれは、「今年からハンコをなくします」とはレベルが違う変化である。縄文時代は約1万年間続いたが、「はい、明日から弥生になります!狩猟採集から稲作に切り替えますのでみなさんよろしくお願いします!」とわかりやすく切り変わったわけではなく、南から徐々に稲作システムが北上しながら普及し、数千年の永い時間をかけてゆっくりとグラデーションをつけて弥生時代へ変化していった。

つまり弥生人と融合した縄文人が「あれ?なんか俺たち昔より不幸になってね?」と気づくことも、縄文の豊かな暮らしを覚えていて「昔は良かったんじゃが」とぼやく老人もなかった。仮に覚えていたとしても、稲作で人口が爆発し、王族・貴族が生まれてしまった複雑な社会システムを、ひっくり返して辞めることなどできただろうか。せいぜい「年貢が高え!」と農民たちが蜂起して領主を攻撃するのが関の山だ。

現代人は弥生人をバカにできない

こうして歴史を俯瞰してみるとなんだか「弥生人はバカだなあ」などと達観してしまうのだが、「貧富の格差に苦しみ、重労働や不健康に悩み、将来の不安に苛まれ、感染症に怯える」。これは現代人の姿そのものではないだろうか。弥生人をバカにするとき、現代人もまた未来人からバカにされているのだ。

しかし、「労働時間を減らせ」「賃金を増やせ」という要求はできても、「文明を捨てて野山に帰ろう。自然の恵みに預かり持続可能な狩猟採集文化に戻ろう」というイノベーションを現代人が起こせるだろうか。実際のところ、持続可能かどうかは興味がなく、弥生人がそうであったように、我々現代人もこの「便利で豊かな暮らし」を捨てることなど、到底できそうにない。少なくとも僕は無理だ。

残念なことに、文明や社会は不可逆なのである。

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