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共感は見えない怪物に化ける


どうもこんばんは。久々の投稿です。就活の投稿はまた時間があるときにやっていきたいなって思うのでその時よろしくお願いします。今日は最近思っていたことを自分の中で言語化するために書きました。


共感には表の顔と裏の顔がある


最近、「共感」について考えるときがある。


「共感」と聞くと、基本的には発話者に対する同情のようなもので、発話者視点になるとプラスに捉えられることが多い。

だけどコミュニティ全体で考えた場合、本当にプラスなのか?という話。

例えば、誰か(ここではAさんとする)の行動や思考を別の誰か(Bさん)が不特定多数の前にポストしたとする。もちろんAさんのことを知っていようが知っていなかろうが、情報は入ってくる。それに対して、関係が近い人は反応をする。

Bさんの情報にはバイアスがかかっている場合があるから、その情報を鵜呑みにしてしまうとAさんに対するバイアスがシェアされる。

伝え方に種類があれど、Aさんがした行動は事実。それをバイアスをかけてしまったとしても伝えることに悪は1つもない。いうことは決して悪いことじゃない。なんなら自分も言うのでそんなことに文句言える立場じゃないです。はい。


問題は、受け取る側だ。


その文章に共感や同情をし、Bさんからのバイアスだけを頼りにAさんを見定めていいのかということ。

さらに恐ろしいのは、そのやり取りを見た周りが、Aさんに対する共通意識を持とうとしてしまうこと。

例えば、「あの人もこう思うなら、私もこう思うようにしよう」というような見えない圧力のような。


共感は人を壊す怪物に変わりかねない。

その変化は突然やってくるものだし、
一瞬で凶器に変わる。

自分が絡んでみて決めないといけない部分もあるんではないだろうか。

実際に絡んでやっぱり無理ならいい。てかそこまで判断をしてほしいなと思う。

実際に関わった人間に対する思いを書き連ねることがあるし、それで関わった同士で共感することもあるから。

ただあくまでも関わってからの話。

関わらずに言うのは絶対に違うと思う。


with SNS世代である我々

最近、SNSが関係することで人が命を落とすことが多くあるように感じる。
これはコロナの影響も少なからずあると思っている。

ただ、それを理由にして他人を袋叩きにするのは善なのか?

一般人である私だが、それは立場に関わらず考えるべき内容だと思う。
それが、私たちwith SNS時代のSNSとの、人間との関わり方だから。

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