ティム・インゴルド「人類学とは何か」を読んで。

1.ティム・インゴルド「人類学とは何か」を読む


ティム・インゴルド「人類学とは何か」とは何かを読みました。

といっても・・・かなり難解な内容なので、理解しにがたいところも多々あります。

著者のバッググラウンドを十分に理解しておく必要があります。

以下、本で紹介されていた内容の抜粋です。

1948年生まれのイギリスの人類学者。1976年、ケンブリッジ大学で社会人類学の博士号を取得、1995年よりアバディーン大学にて教鞭を取る。哲学、社会学、生態心理学、芸術学、考古学、建築学など多様な領域をクロスオーバーする人類学研究を精力的に展開している。著書にThe Perception of the Environment: Essays in Livelihood, Dwelling and Skill, 2000、Lines: Brief History, 2007(邦訳『ラインズ──線の文化史』)、Being Alive: Essays on movement, knowledge and description, 2011、Making: Anthropology, Archaeology, Art and Architecture, 2013(邦訳『メイキング──人類学・考古学・芸術・建築』)、Anthropology and/as Education, 2017、Anthropology: Why It Matters, 2018など多数。

と紹介されているように、本書の内容に入る前に読んでおくべき本がありました。

例えば、こちら。

歩くこと、物語ること、歌うこと、書くこと、生きることは線を生むことだ。世界的な注目を集める人類学者インゴルドの主著待望の邦訳。
世界から注目される人類学者、ティム・インゴルドのライフワーク「ライン学(=linealogy)」の到達点。結ぶこと、天候、歩くこと、成長すること、人間になること…見たことのない自由な発想で、この世界にさまざまなラインを見いだす。哲学、生態学、気象学、人類学の境界を踏み超えて自在に歩き回る、人類学者インゴルドの驚くべき「線」の探求の旅。

本書の内容は、こうした線の文化人類学を探究してきた彼のこれまでの成果とは異なるものになっています。

人類学が、「私たちがどのように生きるべきか」という問いを考えられる学問であるにもかかわらず、学問的に十分に応じていないことのフラストレーション、がぶつけられています。


2.本書を読んで思ったことを素直に書き出してみる

最初に断っておかなければならないのが、インゴルドがこれまで積み上げてきたもの、その思いの集大成ともいうべきものが本書に込められています。

彼の年齢は、もう70歳を超えています。

そうした中で彼が今人類、そして文化人類学の研究者に言いたい事、が語られています。

文化人類学者でもない私が正確に読み解くことはまず不可能な書ではあるのですが、巻末の奥野克己先生(本書の訳者)による解説も含めて、私が感じたところを書き出してみます。

まず本書では『他者と向き合い生きていく』ことの意味が問われています。

これは単に価値観を受け入れましょう。などの安っぽい話ではないです。

他者を真剣に受け取ること。

人類学の大原則であるこの基本的なことがまず求められています。

他者の話に真剣に耳を傾ける。

それは何かの学問的な論証をするのでもなく、ありのままを受け取り、そこから何を感じるのか。

それがまさに求められているのだとも言います。

それを通じて、私たちが気づくこと。

それは、単に多様性を認め合いましょう。というようなことではなく、私たちが同じ世界、自然によって生かされているということ、に気づいていくプロセスでもある。

興味深いのは、よく言われる多文化共生をもう一つ進める形での考え方の必要性が語られています。

私たちが地球という世界、そして自然に生かされている共同体であるという大きな意識をもつことの大切さ、です。

そして、自然と文化とは不可分なものではなく、相互に入り混じっていて、その都度作り変えられる存在なのだとも言っています。

私たち(特に研究者)は時に類似と差異に着目して物事を分析することを好みます。分かり易い二元論でものごとを語ろうとします。

しかし、こうした考え方は二元論的な考え方、単純思考の罠に嵌ってしまうことになります。

だからこそ、多様性を強調しすぎることに対する警鐘を彼は鳴らしています。そうではなく、関係論的な思考で物事をみる。

相互に混じり合って進んでいる、関係しあっているというものの見方の重要性を説いているわけです。

本書を読んでの一番の発見は、世界、地球視点での物事をみること、そして二元論的な思考ではなく、関係論的に物事を見る。区別するのではなく、相互にどのように関係しているかに着目することの重要性を認識させられます。

多様性を認める、という発想そのものが場合によっては、かえって多様性を受け入れないという考え方にも繋がる(つまり、相互の違いを際立たせ、かえって違いによる問題を深刻化させる)のかもしれません。

もちろん、政策的には多文化共生政策や環境に対する配慮の取り組みは必要です。

その一方で、私たちに今、必要なのは、もっと大きなものの見方なのではないでしょうか。私たちが、自然、同じ世界の中で生かされている。

そのことを認識することの重要性を感じました。










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