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お金は魔物、会計を使いこなしそれを飼いならす。

私が研究者としてなすべきこととして感じているのは、

「人と会計を繋ぐ」

事です。

なんでそんなことを意識する必要があるのか?

その理由は、会計が貨幣情報だからです。

お金は魔物。つまり魔物を飼いならすためにあるのが会計とも言えます。

誤魔化しはお金があるから発生します。企業の不正もお金が絡んでないものはほとんどないと思います。

もちろん、今では、利益≒キャッシュ、ですからお金の話ではないといえるかもしれません。

ですが、発生主義における利益の操作も、結局、経営者の報酬、評価が絡んでいます。欧米と比較して企業(組織)のためを想った不正が日本は多い!という人がいますが、それは嘘だと私は思っています。

結局、経営者が組織のために行ったとする不正も、自己の保身から来ています。なぜ保身するのか?自分の評価を落とさないため、自分が経営者で居続けるため、もしくは転職したとしても評価を下げないため、でしょう。

本当に組織のために不正をした、という経営者がいるのでしょうか(ひょっとしたらいるかもしれませんが)?

プロ野球の話に例えれば、ある程度成果を残した監督は再任される、もしくは他でも雇われる可能性が高いですが、そうでないともう忘れられますよね?それと同じことです。企業の世界も残酷です。

少しでも良く見せかけるという努力は、可能な範囲では行う。時にあらゆる手を尽くす。不正ギリギリのこともやりうる。それが経営者です。

これは何も経営者に限りません。従業員だって同じです。ちょっとでもよい成果を見せたいと思うのは当然です。それは報酬と結びついている、その後の昇進ともかかわりがある、からではないでしょうか。

これは研究者でも同じです。1つでもいいジャーナルに投稿したいと思うのは当然です。それが自分の評価に繋がるからです。学内で評価されなかったとしても良いジャーナルにアクセプトされたときのリターンは何らかの形であります。もちろん、アクセプトされたときのリターンが目に見える形では得られないこともあります(日本はその傾向が顕著だとは思います)。

直接的、間接的にせよ、私たちの多くの行動には大なり小なりお金に絡んでいます。

会計情報は経営者、従業員の評価とも直結します。有価証券報告書に掲載される財務数値は経営者の通信簿といってよいでしょう。そして社内で使われている財務数値(管理会計システムにより統制)は、従業員の所属する各セクションの成果と結びついています。

その情報が社内で使われるか、社外で使われるか、というのは会計における情報の出し方なので、本質的には違いません。

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私が会計の説明図として用いるものです。

会計もコミュニケーションツールとして考えれば同じです。3つの問題を内包しています。

技術的問題:メッセージは、どの程度、正確に伝達できるか?
意味的問題:意味はどの程度、正確に言い表せるか?
効率性の問題:受取られた意味はどの程度、効果的に行動に影響するか?

会計情報もその情報の意味付けによって依拠する理論に違いはありますが、この3つの問題に集約されるでしょう。

注意しなければならないのは、会計情報は一般のコミュニケーション情報と異なり、貨幣に関する情報を含んでいる、ということです。

お金に絡むと様々なことがおこりえます。

この「様々なこと」を分解しつつ、起こりうることを考えていくのもまた会計の醍醐味です。そして、このことはお金の本質を理解することにも繋がります。

貨幣情報を記録し、伝達し、開示する会計。人がいる限りお金にまつわることからは離れられません。

私が『人と会計を繋ぎたい』と感じているのはこうした想いからです。

会計を理解することは、人類を平和にすることに繋がるんではないかな。

少し大げさに聞こえますが、そんな風に思っています。

では、何をすべきなのか、今課題として考えていることは何か?

そのことを次回以降にお話ししたいと思います。



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