【37歳によせて】急がない、世界は”少しずつ”しか変わらない
会社を立ち上げて2期目に入っている。
ある先輩経営者からは「1年目は面白がって声をかけてくれる。2年目、3年目からがある意味勝負。組織に属さないから孤独にもなる」とアドバイスされたことを時折思い出す。おかげさまで有り難いことに、相変わらずみなさまから声をかけていただき、日々面白い取材の現場や案件に立ち会えている。
ぶどう、に向き合うなかで想うこと
コンテンツ制作以外に僕にはもう一つの事業がある。「ぶどう」からの「ワイナリー立ち上げ」だ。
今年、実家の近所に1haほどの畑を借りることができた。畑を借りる算段がついたのが今年の3月のこと。直ぐにでも、自分が作ってみたい「シャルドネ」や「ソーヴィニヨンブラン」「ランブルスコ」辺りを植えたいところ……。
ぶどうの苗を植えるのは春先である。実家のある長野県塩尻市の場合、新規で苗を植えるならば5月のGW前が理想だ。
植物は根をしっかり張るのが春。春に芽吹いて根を土に生やすのだ。ただ、長野県塩尻市は4月でも遅霜が降りて、植えたばかりの苗がやられてしまう可能性がある。だから、植えるタイミングは難しい。既存の木ですら花が咲いても霜にやられたらその年は実がつきにくい。そして、植えたら即水を撒くこと。翌日に雨が降るとそれを受けて根が下に生えていき定着しやすくなるそうだ。
さらに、苗を植える前にはぶどう用の垣根を作るための柱を植えたり、誘引できるようなワイヤーを張ったりという作業が必要である。土壌調査もまだしっかりやっていない。借りた畑は元はアスパラ畑で「ぶどうをやるにはおそらく栄養が多いから石灰を撒くなどの作業が必要なのでは?」と言われている。おまけに、しばらく休耕地になってたので、放っておくとすぐ雑草が伸びてしまう。
植えるタイミングが迫りながら畑だけある状況だった。本当は直ぐにでも植えたい。でも、物理的に整地して100本単位で植えるのは難しい……。
無理をしない、急がない
そんな一連のことがあって。「急がない」と決めた。
借りた畑はそのままでは格好がつかないので。夏場は父にも手伝ってもらい散々、エンジン草刈り機(通称:ビーバー)で雑草を刈り、トラクターをかけている。
同時に一方で。実家には既存のぶどう畑もある。春前にかけて剪定をして枝を落とし、消毒をし、摘果し……とやるべき農作業はたくさんある。改めて、自分で剪定をして、秋に実をつけたブドウを見ると、「あー、ここを切ったから、新芽がこう出て、実がココにつく」とよく理解ができる。そして、小学生の頃から農作業の手伝いはしていたけれど、いかに自分が漫然とやっていたかが明らかになるのだった……。
愛読しているJユースを描いたサッカー漫画『アオアシ』にこんなシーンがある。
どうにかユースチーム、東京エスペリオンに合格した主人公の青井葦人はコーチから「基本である『止めて、蹴る』が出来ていない」と指摘される。この『止めて、蹴る』はがすべての動作の基本があるがゆえに、「漫然とやってきた選手との差はアホほど歴然となる」と。
ちゃんと出来ていなかったことに愕然としながらも……。今こうやって気がついたこと、こそが意味のあることなのだとポジティブに考えている。
やっていくなかでは、ぶどうも木なので「剪定は基本的には造園学がセオリー」と聞いた。造園学について調べていくとより面白さがでてくる。すると俄然、街路樹や公園に生えている木に目が向くようになり「木を切った人」の意図を感じられるようになった。
以前、取材をしたことのある盆栽屋さんも「どの枝を落とすのかは、3~5年後に結果が分かる。ちゃんと手間をかけてやれば、返ってくる」と言っていた。その真意を数年越しに理解することになる。
「急がない」と決めたことで、心持ちが随分と楽になった気がしている。僕自身どうしても、これまでの仕事の経験から「最速で最短距離を行く」といったマインドになってしまいがち。
でも。「急がない」とすれば、道中で道に迷うことも。苦労をすることも。それも一つのプロセスである。苦労をすることも厭わない。それ自体も楽しさに変わった。
延々と雑草を相手にビーバーで薙ぎ払い、何往復もトラクターをかける作業も、ふと目を横にずらせば、掘り起こした土壌のなかにいる虫をめがけてカラスやムクドリたちがやってくる。四季の遷ろいを感じられる。空を仰げば、東には木々が生い茂る美ヶ原高原を擁する筑摩山地の鉢伏山、西には北アルプスの穂高連峰が見え、常念岳や目を凝らせば槍ヶ岳も見える。実家周辺の環境は「こんなにも自然豊かだったんだなぁ」と改めて思う。
剪定作業も、柱を立てる作業も、一歩一歩と思えば、まぁやっていけるように思う。
世界は”少しずつ”しか変わらない
先日取材をした方が「結局、変革をしようとしても、劇的に大きく何かは変わらないんですよね。”少しずつ”しか変わらないんですよ」と仰っていた。その言葉がすごく自分自身のなかでリフレインしている。
同世代を見回せば出世していたり、なにか成し遂げていたり。SNSにはキラキラした要素しか無い。そんな投稿を見ていたりすると「自分も」と功を焦る気持ちがないわけでもない。
でも、やっぱり劇的になにかがすごく変わることはないのだ。
ただ、農はPDCAを回すのがどうしたって1年単位と決まっている。手っ取り早くぶどうの苗を植えたいけれど、急いだ結果、物理的に面倒を見きれなくなるのも本末転倒である。
物事は一個ずつ積み重ねていくしか無い。「急がない」と決めたのもあるけれど。少しずつ変えていく。それでいい。元は僕自身が「うちの畑で取れたぶどうがこんなワインになりましたよ、うまいっしょ!!」って言いたいだけのところから始まってるだけなのだから。
そんなことを思いながら、37歳の誕生日を迎えた。娘が「お父さん誕生日だから」と手紙を贈ってくれて、改めて「頑張ろう」と思えた日だった。
(冒頭のサムネイル写真は娘から、誕生日にもらった手紙。心優しく育ってくれていることを嬉しく思う)
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