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36歳によせて【極めて個人的な起業記】

ずっと漠然と「いつか会社を立ち上げたほうがいいだろうなぁ……」と思っていた。

以前、『週刊SPA!』の取材などで話を聞いていた作家の橘玲さんは「税制を考えたら、個人もマイクロ法人を立ち上げた方がいい」と話しており、「確かに」と思っていた。税制上のメリットを考え法人を立ち上げるのは念頭に置きつつ……。同時に僕自身、2014年に編プロを辞めてから”ちゃんとしたサラリーマン”になった以降「これまで受けていたライティングの仕事は副業でやればいいや。その副業の割合が増えてきたら法人成りすればいいや」と思っていた。

とはいえ、会社を立ち上げるにあたっての登録免許税が15万円ほど掛かることもあるし。何より面倒だったので。副業は個人事業主の青色申告のまま続けてきたのが実情である。

「あ、これは、ちゃんと会社立ち上げて、独立した方がいいわな……」と思えたのは、実家のぶどう畑がきっかけである。取材で、2014年立ち上げでも5万キロリットルを仕込むワイナリーさんの話を聞き。実際にそこに自分たちのぶどうを持ち込み、ワインがプロダクトとして出来上がり……。

「あ、これ俺もワイナリーやりたい……」

と強く思えた……。というか、思ってしまったのが、運の尽きなのだろう。

息子と僕とぶどう園と。収穫期は園の下でみんなでご飯。抱っこしている内に寝てしまった……

自分の会社、株式会社まてい社を2022年春に立ち上げた。事業は2つ。自分がこれまで行っていた、WEBや紙の「コンテンツ制作」と「ワイナリー事業」だ。

事業が2つあってよかった

会社を立ち上げて思うのは、「事業が2つあって良かった」ということ。よく、二兎を追う者は一兎をも得ずと言われるが……。僕の場合は、双方が相乗効果を生んでいる。

もともと僕自身は、「何か嫌なことがあっても、どこかしら(雑誌やこのnoteなども勿論)で書いて、原稿料が貰えれば、別にトントン。というかプラスになるわなぁ」という気概で生きている。

「ペンは剣よりも強し」という言葉があるけれど、そこまで権力を追い詰める気とかはなく、単に自分の身の回りに起きた出来事を面白おかしく書ければまあ生きて行けると思っているし、嫌なことがあってもプラスに考えられる。そんな風に志向を切り替わってから凄く生きやすい。

独立起業をしてからは、「あ、このネタはこのメディアさんが……」とか「コレを載せるなら、理想はココだよなぁ……」と思えるようになった。一つのメディアをグロースさせるのも勿論必要なことだけれど。文字としてのアウトプット先が増えたのは有り難い限りであると思っている。

加えて、会社を立ち上げた理由である「ぶどう」。5年後を目処にワイナリーを立ち上げるという目標を掲げていることの相乗効果が非常に大きい。これまでは、自分がインプットしたモノのアウトプット先は「記事」だったり、「自分が属している会社の事業」だったのだけれど。幅が広がった感覚がある。だから、見たもの聞いたものを「あ、コレはここの原稿に使える……」という以上に、「あ、これはワイナリーを立ち上げた先のCRMで……」といった考え方ができるようになったのは、非常に有り難い限りであると思っている。なんというか、自分がこれまで取材してきた企業さんの良いところを全部集約できて昇華できるような感覚を持てているのだ。

これが「コンテンツ制作事業」だけだと、僕は自暴自棄になっていたと思う。「”サラリーマン”という呪縛から逃れられたけれど、結局はクライアントの言いなりになってコンテンツ作ってるの変わんなくね?」とかネガティブなことを言っていたように思う。

反対に、いきなり全部辞めて「ワイナリーを立ち上げる」と息巻いていくのもリスクだったと思う。「桃栗三年柿八年」というように、ぶどうも苗を植えてちゃんと収穫ができるまでには時間がかかる。ワインに出来るだけの収量を見込むならばなおのこと。多くの先輩ワイナリー経営者が「立ち上げ前のキャッシュの確保」を口酸っぱくして言っているし、経営が安定軌道に乗るまでは空いている土地で露地野菜を作って売ったり、アルバイトすることを推奨しているからだ。

実ってるりんごを頬張る娘と弟と。秋口の畑の片付けの一コマ

その点、僕の場合には「コンテンツ制作」という大きな柱を持てたのが僥倖だし。そこで稼いだお金を年間百万円単位でワイナリー事業へ設備投資ができるのは良かったと思ってる。どちらも必要な要素、なのだ。

ツールがあってよかった

実際に会社を立ち上げるにあたって、難しかったことは特に無い。というのも、会社設立とその先の売上管理や経費管理を見越したツールがあったから。具体的には「マネーフォワード会社設立」が非常に参考になった。というか、その手順に沿って埋めていっただけ、だった。

唯一、スタックして非常に悩んだのは、会社名だろうか。会社名は体を表すもの。できれば、理念も表しつつ、「らしい」と思ってもらえるものが良かった。メインのプロダクトができれば、それに変えるのも手だけれど(個人的にはSmartHR社の前身KUFU社の由来も好き)。最初の社名はちゃんとしなきゃなぁと思っていたので、そこで悩んだ感じだろうか。

ツールとしては使わなかったけれど、freee社が昨今創刊した雑誌『起業時代』も非常に参考になった。この手順で進めれば間違いないという確認になったし、後日税理士先生や社労士先生にアレコレ確認してもらう際にも問題がなかった。知らなかっただけかもしれないけれど、10年前よりも確実に起業しやすい時代になっていると思う。

家族が居てよかった

転職に限らず、独立起業をする際にネックになるのは家族の存在である。巷では「嫁ブロック」なる障壁も確認されていたりするし、何より僕自身も5歳と1歳の子どもを育てる身である。子どもたちが路頭に迷うようなことがあっては……とはもちろん思っている。

家族を説得するにはもうコミュニケーションしか無いだろう。個人的には世の中の「嫁ブロック」の要因は、コミュニケーション不足にあると思う。奥さん側は「旦那が仕事を辞めても生きていけるのか?」というロジックで動いているし、他方で旦那さん側は「なんとかなるだろ……」とコミュニケーションをおろそかにしがちだったり、「後から伝えればいいや」と言わなかったりでこじれるものだと個人的に思っている。

僕の場合には妻に基本的に月次の売上だったり案件の話はしている。「今月はこれくらいで着地しそう」という話や「新規でこんなありがたいお話を頂いた」という話をしていれば、まぁ妻側の不安も減ると思う。「嫁ブロック」をどう回避するかなどはきっと個別によると思うのでみなさま試行錯誤を。

そして、僕の場合には家族の存在は非常に追い風になった。「この子たちが生きているけるように」という感覚で働けるのは勿論だけれど。何よりも、予定の優先事項として家族を入れられる。自分にとって何よりも大事なのは家族なので、家族を優先できる体制にできているのは独立起業の良さでもある。

くすぐられるのが大好きな息子氏

家族との時間をもう動かせない予定として入れておくこと。それによって、自分自身の時間の使い方に縛りを入れる。縛りによって「あ、あと30分でお迎えだから、どうにもこの原稿だけはやっちゃわないと……」という気になるのだ。

また、家族がいるがゆえに自分が倒れられないので緩急をつけられるようになった。以前の自分ならば、「間に合わないのであれば、まぁ深夜にでも時間を使って作業すればいいや」という感覚を持っていたが、それが通用しない。というか、それを通用させてはダメなわけで。それに以前の自分ならば働き詰めになっても、顧みるものが何もないから、とにかく働き詰めていたように思う。で、体を壊していただろう、と容易に想像できる。

家族がいることで、まともな感覚を維持できているように感じる。守るべきものがあるもの。それは、攻めるべきときには、デメリットかもしれないけれど、自身の健康や情緒を守るためにはメリットだと思う。

バブル期のサラリーマンの回顧記に「モーレツに働いていることが家族のためになると思っていた。けど違っていたみたいだ。家に帰ると子どもが『あの人誰?』という顔をしてくる」という記述が出てくる。僕自身が今はモーレツに働いている気はないけれど。自分自身の娘や息子がすごく懐いてくれて、一緒に過ごせる時間をたくさん持てるのは良いことだと改めて思う。

独立起業は誰しもにオススメできるものではない。けれど、僕の場合は「良かった」というのを36歳になるによせて書き記しておく。


家族でお祭りにでかけた際に撮ってもらったもの。消防団のキャラクターと。


(※トップの写真は長野の実家にて。親父と息子と猫と。みんなよく似ている)


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