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「街⑤」変貌を遂げた街



鹿児島


言わずと知れた、離島を除く九州最南端の街。
私は客室乗務員時代に、何度も「ステイ」をしているし、その後も友人を訪ねたり、遊びに行ったりしている。


鹿児島といえば、桜島。

鹿児島の人たちの心の支えであり、「いつもそこにあるもの」として、存在している。
フライト中に桜島が噴火し(しょっちゅう噴火している、活火山である)その噴煙が上がるのを上空3000メートル付近で見たときは、地上から見るのとは全く違っていて、同じ高さに噴煙があるという不思議な経験をした。


 また、一度はステイ中に噴火していて、街の通りが一気に灰色一色となり、車のワイパーも効かない、道端には土嚢の中に掃き集められた灰が入っているのを見た。
航空会社の職員で、鹿児島勤務の人たちには当時「降灰手当」という手当がついていると聞いたこともある。ただ、鹿児島の人は、もう慣れっこになっていてなんとも思ってないようで、それもまたびっくりした。


そして西郷隆盛。
「薩摩隼人」という、鹿児島の男性を表す言葉があるが、おそらくその代表が西郷隆盛なのだと思う。
男性が威張っているイメージはあるが、実際のところはよくわからない。

さらに、教育熱心な県民性というイメージもある。
ラサール中学、高校があるのも、その県民性によるものだと思うし、実際に知り合いの鹿児島出身の方たちは、皆さんお子さんの教育にはお金を惜しまない人たちだったと思う。
おそらくそれは「薩摩藩」の教えの名残なのだろうと思う。
幕末に大きな力を持っていた、島津のお殿様たちはきっと教育熱心だったはずだ。

さて、食べ物の話。


黒豚
とんこつラーメン
キビナゴ
さつま揚げ
いも焼酎
白くまアイス


などが浮かぶ。


街の中心街は「天文館」。
何度か行ったが、確かに多くのお店があった。そこで聞こえてくる、鹿児島弁は、なんともゆったりとしていて、柔らかい話し方に感じる。
福岡、北九州の「ケンカのような」(と友人に言われた)方言とは全く違う。
さらにこれが、奄美、徳之島まで行くと、もっと方言は進化?する。

全く意味不明な方言


徳之島空港到着後、いつも2人のおばさまが清掃員として入ってこられていた。
その人たちは、時間は気にしながらも、南国独特のイントネーションたっぷりの方言で話しながら清掃をするのだが、私たちには「一言も」聞き取れない。
同じ日本語なのか、と思うくらい、一言もわからない言葉をいつも聞きながら、
そして清掃が終わると「ありがとうございました」とお互いに通じ合う日本語で話して終わる、という思い出がある。
私たちのことを話していたとしても私たちには一切わからないのだから、日本語ってすごいと思う。

知覧

また、「知覧」がある鹿児島。
一度訪れた際には、ずっと泣きっぱなしだった。
出兵した方々の手紙の達筆さ、文章の素晴らしさ、そして自分のことよりも家族、国、この国の子供達のことを心配している内容に、そしてそれを読んだであろう母親の気持ちが胸に刺さり、涙無くしては読めないものばかりだった。


あのような達筆で素晴らしい手紙を書けるのは、当時の教育水準は高かったのではないか、と思う一方であのような内容でなければダメだったのだろうとも思う。
でも、自分の命を犠牲にする戦争なんて絶対に正義はないから、あの手紙を見て若い人たちが戦争の悲惨さを知ることはとても大事なことだと思う。
(このとき高校生の娘も連れて行ったが、春休みで小学生のお子さんを連れている人たちもたくさん見かけて安心した)
ぜひ一度訪れて欲しいと思う。

街が変貌した理由

そして、鹿児島が変貌を遂げたのは、10年前に「九州新幹線が開通」してからだ。
開通以前の鹿児島は、鹿児島中央駅も古く、なんとなく存在感がなかったが、
九州新幹線開通後に行った鹿児島中央駅は本当に立派で、ものすごく多くの人がいて、心底驚いた。
昔の鹿児島とは全く違っていた。
博多から新幹線で、1時間30分で到着する。


これにより、それまで「ドル箱」と言われていた、福岡ー鹿児島間の飛行機は、大きく減便した。


いつの時代も、飛行機は新幹線との戦いだ。
新幹線が開通すると、途端に路線がなくなっていく。
羽田ー花巻
羽田ー仙台
羽田ー小松(金沢)
羽田ー福島
などがその良い例だ。
かなりの便数が減るまたは休止、廃止となってきたのだ。
あの手荷物検査場などの煩わしさ、チケットを買って飛び乗れる利便性は、飛行機はかなわない。
福岡ー鹿児島は飛行機では(ジェット機)30分で行くが、鹿児島空港から市内までが1時間ほどかかるので、結局は新幹線に負けてしまう。

そんな航空会社の事情よりも、九州の人たち、特に熊本、鹿児島の人たちにとっては、九州新幹線の開通は、本当に喜ばしい発展の元になったと思う。

そして、その九州新幹線開通の日があの3.11 の翌日だったため、予定していたセレモニーは全て中止となり、余計にそのために制作された動画が涙を誘ったものとなったのはご存知だろうか?

https://youtu.be/B9jCU9ok_MI

しかし、九州にとっては確実に大きな経済効果を生み、多くの観光客がそれまで福岡で止まっていたのだが、熊本へ、鹿児島へと足を伸ばすようになったのだから、エアライン業界とは競争している新幹線の効果を改めて感じる。

不思議な話

最後に、客室乗務員時代のネタを一つ。
客室乗務員時代にステイしていたホテルには、「出る」という噂があった。
霊感の強い先輩たちはいつも、いくつかの部屋の番号を拒否していた。
その番号のキーを渡されると「もし他に空いていたら、他の部屋にしていただけませんkか」とホテルの人に言っていたのを見たこともある。
ホテルの人も、理解していて何も言わず「ではこちらのお部屋ではいかがですか」というやりとりをしていたのだから、驚く。

ただ、私は全く、何も感じない人なので、どうも知らずにその「曰く付きの部屋」に宿泊していたらしいのだが、後日先輩にそのことを言うと「え、何もなかったの?」と真顔で聞かれ、「いや、何も感じないし、見えてないし」と言ったものの、壁が薄いせいでなんだか隣の部屋がうるさいな、と思ったのだが、もしかするとあれは隣の人の声ではなかったのかもしれない。

ただ、私にはなんの被害もなかったので、「隣の人だった」ことにしておこうと思う。


私にとって飛躍的に進化した街、それが鹿児島だ。


上野 博美

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