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成長意欲は、諸刃の刃


タイトル通り、成長意欲は時に悪影響を
与えるのではないか、と思った。

日本のサービスや、清潔さ、人との接し方は、
素晴らしいと改めて思う。

それなのに、自己肯定感が低い人が多いのはなぜだろうか、と
考えてみた。


私も決して自己肯定感が高かったわけではない。
その理由は、一つは「謙虚は美徳」と刷り込まれていたこと、
もう一つは「もっと上がある」と思い込みすぎていたことだった。


日本人は褒められても素直に「ありがとう」と言わない、と
言われる。
私も褒められると、「何か裏があるのか、魂胆があるのか」
と疑っていた。
せっかく褒めてくれているのに、なんと申し訳ないことを
したのか、と思う。


でも素直に「ありがとう」と言ってる人はほとんど見たことがなく、
「いえいえ、とんでもありません」
と言っている。


そして、「さらに上がある」と思って、ここで満足してはいけないと、
自分に鞭を打ち続けてしまう。

ただ、この「さらに上がある」
と言うのは、結局人と比較しているのだと気づいた。

人と比較する、それもずっと上だと思ってる人と比較するのは、
自己肯定感を下げてしまう。
きっと一生懸命頑張ってるし、その人の最初の頃からすればすごい
成長であり、結果も出しているのに、まだまだ、と思うのだ。

もちろんその人が、日本一、世界一になりたいのであれば、
そこを目指し続けるといい。
でも、「あの人より自分はできてない」
と比較はやめよう。

私はそれをやめて、自分が自分の審判になった。
「ここまでできたら、日本一だよ」
と自分で自分に言うようになった。

日本一を決める大会なんて、そうそう仕事にはないし
(個人のスキルでは)だったら自分で決めていいと思ったのだ。

例えば、社長になる人と、その社長争いに敗れた人は、
おそらく仕事面では差はない。
強いて言えば、周りに押された人間性だったり、時の
運だったりするのだから、「まだまだ」と、
自分を誰かと比較する必要は全くないと思っている。

もっともっと適当に生きて、それなりに幸せで、
それなりに自分に自信を持って生きてる人たちが、
この世にはたくさんいるのだから。

身近な誰かと比較して、自分はダメだと思うのをやめよう。
世界は広いし、道は一つではない。
視野をちょっと広げれば、自己肯定感は爆上がりする可能性があり、
それによって人生は好転するのではないか、と海外の通りを
歩いていて強く思った。

ほとんどの人が、十分よくやってるのだから、
もっと自分を認めて、他の誰かのようになろうなんて
思わず、比較レースから降りてはどうだろうか。

私は、既に降りています。
自分の頑張りも良さも自分でわかっているので、
誰に認められなくてもそれで良いと思っています。
自己肯定感が上がっているので、なんでも挑戦できる
ようになりました。
それがずっと大事だと思っています。


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