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自分の中の黒い部分


最近、自分の感情を客観的に「引いてみるとき」がある。以前は自分の感情をそこまで客観的に見ていなかった。

なぜ最近客観的に見れるようになったのかはわからないが、本を読んだことがきっかけのような気がする。

客観的に見れば見るほど、「自分の中の黒い部分」に気づく。

むかついた

腹が立つ

などの感情だ。

なぜその感情が起きているのか、を考えてみると「自分が傷つきたくないから」だと気づいた。

例えば、誰かに何か嫌なことを言われて、「ムカつく」これは大事な感情で、言い返せない時には「ムカつく」ことで自分がすでに傷ついているのに、これ以上傷つかないために起きている「防御本能」のように思う。心の中で、その行為に反発しているのだ。

もちろん、むかついて相手に暴言を吐いたり、暴力を振るえば犯罪にもなるし、逆に相手を傷つける。

でも自分の中の気持ちだけならば、自分を守るためにやっていることなので、むしろ「むかつかない方が怖い」のかもしれない、と最近気づいた。
ネガテイブ感情が悪いのではなく、その感情を認め、理由がわかることが大事なのだ。

そしてその黒い部分が出てくるのは、それだけ傷ついた経験があるんだなーと思う。

子供だったら、きっとこんな黒い部分はあまり持ってないだろう。
自分が子供の頃のことを思い出しても、こんなに黒い感情はしょっちゅうは湧いていなかった。
それは子供に対して、周りはみんな優しいから。
親から怒られたとしても、そこに愛情があれば安心して泣けるし、嫌だと言えるし、どこかで最終的には守られる。
もちろん、いろんな家庭環境があるから一概にはそんな子供時代ばかりではないかもしれないが、傷つくことが少ないのだと思う。

ただ、大人になる過程で、いろんな人と接して、傷ついて、自分を守る方法として「ムカつく」「腹を立てる」クセを身につけて来たんだろう。

でもその黒い部分を見て、「ハッと」して、「いや、もう必要ないよ」と自分に言っている。
もう傷つくことはないから。
傷ついても大丈夫だから、黒い部分は必要ない。
自分を守る方法として、むかつかなくてもいい方法を見つけた。
それは、「感謝することで捉え方を変えることができる」と知ったからだ。

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先日すごく横柄な感じのバス運転手に出会った。
アナウンスにそれが現れていた。

バスに乗る際、私の前におばあちゃんが乗ってて、その方は足が不自由でゆっくりじゃないと乗れないから、私は少し待って乗った。
そしてようやく私が乗るか乗らないかの瞬間に「ドア閉めますよ」と大きな声でアナウンスが入った。
私はびっくりして、慌ててバスに乗り込んだ。

元々10分バスが遅れてきていて、
それについての謝罪はなく、急いでいることを優先したから「ドア閉めますよ」というアナウンスを、大きな声で言ったように思えた。
まるで、私がノロノロとしているから、「早くしてください」と言わんばかりに。
ただ、これも私の勝手な捉え方なのだろう。

一瞬腹立たしく思い、「黒い部分」が出てきたことに気づいた。
しかし、すぐに
「安全に運転してくれていることに感謝」
「バスが来てくれたことに感謝」

と感謝できる部分を探したら、すーっとモヤモヤ感は消えた。
結局私の黒い部分が消えて、気にならなくなった。
今では、「まあそこまで悪気はなかったのかもしれない」とさえ思っている。

「目の前の現実は、すべては自分の思考通り」

という言葉を聞く。

この意味は、
「すべては自分の捉え方次第」
だということなのだろう。

物事に良い悪いはない。
あるのは「捉え方だけ」という言葉も読んだ。

「自分が傷つきたくないから腹を立てる」

ことより

「全てに対して意味はない」
とか
「何か感謝することがあるはず」

と思っていれば、捉え方が変わり、黒い部分も出てこない。
そうすると、私の気持ちがいつも清らかな感じがするのは、気のせいだろうか。

自分の気持ちが清らかだったら、きっと私の目の前に広がる世界もいつも清らかで、そんな人たちだけに囲まれていくのだろう。

捉え方を変える方法として、「感謝できることを見つける」ことを取り入れ始めて数日。その結果1日に何度も感謝しているこの頃。
不思議と良いことがどんどん起こってる気がしているのは、偶然ではないのだろう。

良書にタイミングよく出会ったことにも、そして
全てのことに本当に感謝だ。


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