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セルフイメージを変えて、起きたこと

セルフイメージ、と言う言葉を聞いて何を連想するだろうか。
セルフイメージとは、自分が自分をどんな人だと思っているか、と言うことだ。

以前若い人たちに自己分析の仕方を教えていた時、ほとんどの人が自分に対して良いセルフイメージを持ってないことに驚いた。

自分の短所にばかり目を向けていて、自分の良いところは普通のことであり、誰もが持っているものだから価値がない、と思ってる人が多かった。

元気で、明るくて、いつも笑顔で、素直な人、と言うのは、存在するようで、案外いない。だが、当の本人は「こんな人間はどこにでもいる」と思っていることが、本当に多かった。
なんともったいない、といつも伝えていた。

とは言うものの、このように他人のことはわかるのだが、私自身はどんなセルフイメージを持っていたかと言うと、実は古いセルフイメージをずっと持ち続けていたことに気付かされた。

以前から、周囲の人からは「社交的」「積極的」「前向き」と言う評価をもらうことが多かった。

実際は、20代前半くらいまで、人見知りで、ネガテイブ思考で、石橋を叩いて渡る性格だった。それは、私をよく知る母が証明してくれる。30歳になった時、「そう言えばあなたは私に相談事をしなくなったわね」と言われ、「ああ、それだけ私は落ち込んでは母に相談して立ち直らせてもらっていたんだな」と気づいたほどだ。

その後、客室乗務員という仕事を通じて、人見知りを克服し、なんとかするしかない、という現場に常に立たされたことで、対応力を身につけたらしい。
だが、私のセルフイメージはそのままで、「私は人見知りだ」と思い続けていたことに気づいた。

それに気づいたのは、あるコミュニティに入ったことで、周囲からダイレクトに良い評価してもらったからだ。

私はなかなか人を褒めることが得意ではないが、このコミュニティの人たちは、本当によく褒めてくれる。そして、私は褒められ慣れていないので、褒め言葉を素直に受け取ることも苦手だった。しかし、このコミュニティの人たちが言うことは、お世辞ではないこともわかるし、だからこそありがたいなと思えた。

その時、ああそうか、自分が持っていたセルフイメージは、かなり古いもので、このコミュニティの人たちが評価してくれた自分が、今の私なんだ、と思えた時、古いセルフイメージをあっさりと変えることができた。

すると、何が起こったか。

会う人、会う人が、違和感なく、共感ポイントが多く、「ああ、この人たちと知り合えてて良かった」と思う人としか出会わなくなったのだ。
私がしたことは、信じられる周囲の人の評価を受け入れ、セルフイメージを一新したこと。そのままの自分を認めたことで、周囲の評価と自分への評価が一致し、それに合った人しか目の前に現れなくなった、ということらしい。

日本では謙虚であることが美徳とされるが、確かに良い習慣だと思う。
しかし、それが行きすぎてしまうと、セルフイメージがいつまでも古いものであったり、周囲から注意をされ続けたことをセルフイメージとして定着させていたりする。

自分が自分をどう思っているかが、どんな人を「引き寄せるか」につながるのであれば、セルフイメージは正しい方がいい。
最新のものがいい。
周囲の評価と一致している方がいい。

こうしてセルフイメージを見直したことで、必要な人、感覚が会う人と出会い続けているし、さらに自分にとって必要な情報が入り続けている。なんだか不思議な気がするし、こんなに居心地の良い世界があるのか、と驚いてもいる。

自分をどう評価するかは、自分次第。
どう評価してもいいのだ。
だったら、信じられる人たちの評価を受け入れ、最新のセルフイメージを持ち、出会いたい人たちとだけ出会う人生の方が良い。
奇跡のような人生は、決して奇跡でもなんでもなく、自分をどう評価するのか、にかかっているのだなあ、と気づいたこの頃だ。


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