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私は私を好きだろうか?


「私は私を好きだろうか」

ふと今朝思って、問いかけてみた。

私は多分、あまり人からどう思われているのかを気にしないタイプだと思っていた。
しかし、まだまだだ。

着る服
髪型
メーク

など、印象に関わる部分では、TPOを考えるのは大事だが、「どう見られるか」を気にして選んでいては、まだまだだ。

さらに「生き方」まで、どう思われるかを気にしていたら、もう私としては最悪だ。
生き方については、最終的に自分がどうしたいのか、を大事にして決めているつもりだが、その決定までのプロセスで、一瞬でも「人にどう思われるか」を気にしていることは、正直ある。

これが、ダメだなと思ったのだ。

他人は、私の人生の責任をとってはくれない。
そして、人は一番大事なのは自分だ。
それなのに、人がどう思うかを気にするなんて、本当に意味がない。
それよりも、最も大事なことは「自分が今自分をどう思っているのか」だ。
もっと言えば、「自分が自分を大事に思い、自分が自分を尊敬でき、自分が自分を好きかどうか」だ。

「自分が好きか」

と問われた際に、コロナ直後の自己嫌悪の時からすれば、格段に好きになれた。
コロナ直後がマイナス100だとすると、今はプラス70から80にはなっている。
かなり大きな振れ幅だが、その間やってきたことが全てプラスに働いている。

引越し

断捨離

これらが、自分を変えてくれたことは間違いない。

ただ、まだまだ20から30くらい、自分を好きだと言えない部分があった。
それに気づいたのだ。

それが「人にどう思われるのか」を一瞬でも気にしている自分だ。
多分これからは、それをなくしていくためにあらゆることを経験していくのだと思う。

誰にとっても、一番大事なことは「今の自分を自分が好きか」だ。
自分を好きでいられたら、なんでもできる。
誰にも自分の人生や生き方や、着るものをジャッジさせず、アドバイスは聞いても、最終的に自分のジャッジは自分でする。

そんな生き方ができている人は、真に自立しているのだ。

もちろん、どんな生き方をするのかは、それぞれの自由であり、それぞれが決めていくことなので、私が言うようなことではないが、私は自分を好きでいたいので、この自分が自分を好きでない部分をこれから追い出していくつもりだ。

人間誰でも、例外なく死ぬ。
その時に残るものは、自分が自分を好きでいられたか、自分が生きたいように生きられたか、だ。
お金も持っていけないし、
肩書きも全く意味がない。

それよりも、自分が思うように生き、自分をどれだけの期間好きでいられたのか、だけではないか、と思う。

死ぬ時のことを考えて、逆算して考えてみると、何が一番大事なのかがよくわかる。
「死生観」を持って生きることは、大事なことを教えてくれる。

迷った時、わからなくなった時、必ず、全員が迎える「死」から逆算して考えてみることは、暗闇の中で光を見つけるようなものだと思っている。


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