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はみ出して生きる


年齢的にも、
時代的にも、
私の役割的にも、
重い荷物は抱えなくて良くなった。

子育ても終わり、
妻や嫁としての役割も終わり、
仕事でも、上々の出来まで達成した。

重い荷物を下ろして気づくことがある。

この身軽になった自分でどこに行こうか、だ。

誰に遠慮もせず、
気遣いすぎることもなく、
その必要もなく、
嫌なものは断れる自由があると、
「ありのままで生きる」と言うことが現実化する。

もちろん法治国家に住む以上、法律は守るが、逆に言えばそれ以外のことはそれぞれの自由で良いと言うことだ。

では、ありのままで生き始めてみて感じていることはなんだろう、とふと思ったのだ。


それは「はみ出てるな」と言う実感だ。

決して悪いことではない。
多分、ほとんどの人が「ありのまま」で生きると、少しはみ出していくのだと思う。
はみ出している自覚はあっても、元に戻れない、戻ろうとは思わない、と言う人が最終的に「ありのままで生きる」を続けることができるのだ。

私はそもそも人と同じ、と言うのが、幼い頃から嫌だった。
両親も「人と同じことをして、どうするの」と言う教育方針だった。
その教育方針には感謝している。

でも、親の教育方針がどうであれ、ある一定の年齢になったら自分で考え、自分で選ぶことができる。
たとえ親とは真逆の考えであっても、当たり前だ。
なぜなら、人は一人一人違うから。
そして、多数が考えることを常識、と言うのであれば多分私は完全にはみ出している。
もちろん、周りに合わせるべき時や、面倒なことにならないために合わせる
ことはするが、大事なことは譲らない。
譲るくらいなら、去る。

おそらくみんなそうだと思うし、それでいいのだと思う。
一人一人違っていい、と言う社会になるのを待つより、はみ出している自分を認めることの方が先だ。


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