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自分の中に世界がある


今朝はじめて5日目のワークの途中で、この言葉が自然と出てきた。

ちょっと、スピリチュアルチックなので、興味のある人だけ読んでください。

人は誰でも生まれた時から、自分の世界を自分の中に持っている。
若い時は、いろんな人に会い、いろんな本を読んで、いろんなことを体験していくことで自分のことがわかるし、周囲がそう言うから信じてきた。

でも、それは間違いだったと思っている。

そして、多分幼稚園生の方が自分の世界を持っていて、それを頑なに守り表現しているのではないかと思う。

私が幼稚園生だった頃も、すでに一緒に遊ぶ人は決まっていたし、私が好きな先生も、可愛がってくれていた先生も同じだった。
好きな遊びは外遊びで、体を思いっきり動かして走り回っているのが楽しかった。

誰にも教えられていないし、さまざまな遊びの選択肢もあったのに。

生まれた時から自分の中に世界があるのだ。

だからたとえ親であっても、その子供の世界観を壊してはいけないし、そんな権利もない。
自分の子供が自分の物かのように、勘違いをしている人がいるが、ある意味人権侵害のようなものだ。

大人になってもその世界観とともに生きていけば、自然と道は決まっているし、迷いも、間違うこともなかったのだと思う。
もちろん迷いも間違いも経験の一つではあるが、同じ間違いを繰り返さなくてもいいはずだ。

その世界観を維持できるのも、直感でわかるのも、若さのおかげだ、と言われたらそうかもしれない。
若い時の方が確かに「感性が鋭い」

高校生の時も、好きな先生と嫌いな先生は第一回目の授業で決まってしまい、その後変化することはなかった。
それほど、すぐに見抜く。

じゃあ、若さを失ったら(あくまでも年齢的な若さのことだが)感性は鈍るのか?

私は、「感性が深くなる」と思っている。
それは若い時には経験していなかったことを経験しているからだ。

心の痛み、悲しみ、寂しさ、やるせなさ、喪失感、絶望。
これらの感情は、年齢を重ねた方がわかるはずだ。まるで振動するかのように、響くはずだ。
桜の散る姿を見て、泣く日が来るなんて、10代の頃には全く想像もしていなかった。
それが感性が深い、と言うことだと思う。

この与えられた感性と、生まれた時からの世界を信じ、一部は外界との接触のために窓を開けておくが、窓を全開にするのは、分かり合える人だけにして、窓をどのくらい開けるのかさえ間違わなければ、人間関係で悩むことはグッと減る。

そして自分の世界に従って生き、外界で何があっても揺らがないことが、自分を導いてくれる光を、見失わないことにつながるような気がしている。


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