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年齢を気にしない生き方


年齢を気にしている人は、案外多いな、と感じる。
そしてこれは日本人に多い気がする。

アメリカ留学中は、私は高校生だったけど周囲の大人たちは自分の年齢も言わないし、誰も年齢を聞かないし、聞くのは失礼、という雰囲気があった。
そして、誰も「私○○才だから、それは無理」と、年齢を言い訳に「できない」と言わなかった。

現在もアメリカは、履歴書に性別、国籍、年齢、写真などを貼ることは禁止されていると聞いたことがある。
(今は動画でエントリーする会社も多いから、すぐにわかってしまうけど)
書類での差別をなくすため、平等に機会を与えるため、と聞いたことがある。

しかし、日本ではテレビや記事に出る人たちもみんな名前の後ろにいちいち年齢が記載されていて、それは結構失礼なことなんじゃないか、と思っている。

女優の吉田 羊さんは、「年齢非公表」とわざわざ書いているが、本来それで良いと思う。

人は見た目年齢でいいし、
仕事の際には脳年齢でいいし、
体力仕事や運動の場合は、体力年齢でいいと思っている。

ところが、最近私もまあいい年齢になっているからか、周りの人たちが「私、○○才だから、今更そんなことはできない」という言葉を聞くようになった。
先日母にすごく似合うと思って「赤」(と言っても、少し暗めの赤だけど)のセーターを買ってあげたら、「80過ぎてこんな赤いの着てる人はいないから」と言うではないか!!

母は洋服屋を30年もやってきた人で、近所のおばちゃんたちのファッションリーダーと自負していろんな服に挑戦してきた人だった。
それなのに、一度大病して手術をして以来、すっかり自信をなくし、年齢を言い訳にし、私にも
「いい歳なんだから」と言うようになった。
私は、猛反発して、「年齢なんて関係ない。体力も脳も以前と変わらず動いているから、全然問題ないし」と言い続けている。
(確かに年齢の割に、私は体力があるらしいが、それも才能の一つと思っている)

さらに先日一歳上の友人が、「私も○○にもなって、今更仕事をバリバリやるなんて」と言い始めた。
この友人はずっと個人事業主として仕事をしていて、家計も助けてきた人だ、
さらに私が、スクールを開く時にはこの友人に相談をして、背中を押してくれた人だったのに。

もちろん人は変化する。
あらゆる環境や思いもかけないことに遭遇することによって、以前持っていた本来の自分を見失ってしまうこともある。
私も2020年はそんな状態だった。
今よりずっとずっと弱っていたし、気力がなくなってしまったのだと、それも年齢のせいだと思っていた。

でも、違っていた。

私はnoteを毎日書くことで自分と向き合い、noteを書いている方々の記事を読み、本を読み、生活を大事にし、自然に触れ、好きなことを我慢せずにやり、プチ旅や本格的旅に出て、本来の自分を徐々に取り戻していった。

今は少し考え方も変えたが、本来の自分を取り戻せたと思っている。

時間はかかるかもしれないが、本来の自分を見失っているのであれば、まず本来の自分に戻って欲しいし、その時に年齢を気にすることがないようにしてほしい、と思っている。

もちろん、人生の選択は本人にある。
ただ、「年だから」という言葉を言い続けることによって、その言葉が自分をどんどん縛っていき、行動力もやる気も失っていくのだと感じる。

だから、私みたいなおせっかいな人が、「年齢気にする必要なんてないよ」と言ってしまう。(もちろん誰にでも言っているわけではないが)

年齢を気にしない生き方ができるのは、

体力
脳力
好奇心
行動力

があれば、誰でもできると思っている。

これらが揃っているあなたなら、年齢を気にしない生き方をしているだろうし、年齢を気にしない生き方ができる。

これからも私はそんな生き方を続け、

「気づいたら90歳だった」

と言ってみたいと、密かな野望を持っている。(笑)


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