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「街⑨」リ・ボーンアイランド



「街」というより「島」の話ばかりになっている。
昨日、ふとみた「波照間島」の写真を見ていて、一度も行ったことがないのに、
涙が溢れてきた。

なんなのだろう?

石垣島に行った時に、竹富島に行ったがその先に「波照間島」があるのだから、
行ったらよかったな、と思った。

まあ、これでまた「島」に行ける理由ができたので、よしとしよう。


久米島。

今まで行った、宮古島、石垣島、のいずれよりも私は一番印象に残っている。
おそらくその時の私の精神状態によるところが大きいと思うが、確かにこの島で
エネルギーをもらって「再生」した。


久米島に行ったのは、2020年11月。
この頃は、私の精神状態は最悪だったと思う。
2020年3月ごろからコロナの影響を感じていたものの、まだこの頃は仕事への影響は少なかった。


しかし、8月頃から徐々にその影響が出始めた。
そして11月頃には、かなり落ち込む日々が多かった。
それをある方に指摘され、エネルギーチャージをした方がいい、と言われたものの、私の趣味は、唯一旅。


じゃあ、旅に行こう、どこにいきたいか、と自分に問いかけると「島」。
海を見ながら一日ぼーっとしていたい。
そんなことを考えるくらい、私は気分が落ちていた。

日頃そんなことを思うなんてほぼなかった。
いつも忙しいスケジュールをこなしていくことに、必死だったし、それがやりがいだったのだ。

ところが急にブレーキがかかり、気持ちがついていかなくなった。

他のことは考えない。
とにかく「島」。
そう思って探したのが、沖縄離島で(大きい島で)行っていないのは久米島。
友人が以前行って「はての浜」の美しさを写真で知らせてくれていた。

すぐに予約し、3泊4日と長めの旅にした。
Goto トラベルも使えたのはラッキーだった。

完全にツーリスト。
いつもなら「航空会社やホテルのサービス」は勉強のつもりでいくので、どうしてもいろんなことが目につく。
でも今回はツーリストに徹して、那覇乗り換えの際も普段は決して飲まないのに、レストランでビールを飲むくらいリラックス。

1日目


久米島到著後、町営バスに乗ってホテルへ。このバスは飛行機到着時間に合わせ運行されているので、便利。
到着して翌日の「はての浜」ツアーを予約し、島を散策。
部屋はもちろんオーシャンビュー。
テラスに椅子を出せば、1日海を眺めていられる。
街を散策すると、一本の道路沿いに飲食店があるが、数は少ない。
「県外の人お断り」のところもあったのは、やはりびっくりした。
それでも夜1人で歩いていても、決して怖くないし、半袖一枚で歩けるのは本当に
開放感でいっぱい。


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2日目

翌日は、「はての浜」へ。小さな船で向かうが、満席。
カップルが多い印象だった。
船内でガイドさんの説明を聞いていると、久米島は自然を保つため、外からの
資本を入れることを制限しているらしい。
おそらく、宮古、石垣、久米島の中では久米島が一番田舎。
だが、その素朴さが私は好きだ。
観光地化があまり進んでいないところがいい。

浜には遮るものが一切ない、周り一面の海。
こんな景色をみたことがない。
自然ってすごい、と島にくるといつも思う。


風はもろに受けるが、それでも端から端まで歩いた。潮が満ちてくる前に帰らないと、砂浜がなくなる。
添乗員さんと写真を撮って戻った。
ホテルに戻って、ホテルのガーデンで日光浴。
もちろんすぐ前は海。
ビーチを端から端まで歩いてみる。
こんなに海を身近に感じ、こんなにリラックスした時間が過ごせるのは、いつ以来だろう。

仕事ばっかりしていちゃダメだな

と思った。


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3日目


翌日は、1人でホテル内にあるパットゴルフを楽しむ。
すぐそこにやぎが飼育されていて、私がグリーンに立つと「めえー」と鳴く。
私も真似して「めえー」と鳴いてみると、案外「うまい」のか、「めえー」と
返ってくる。
それがおかしくておかしくて、しばらく続けた。
そしてパットゴルフ。

9ホール終わっても、もう一回できそうでもう一回。
1人でも全然楽しめた。
すると、それをみたホテルの宿泊客が少しづつ増えてきたので、やめて部屋に戻る。


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ランチタイムになり、久米島そばを食べにいく。
大衆的な居酒屋で、店員の人も観光客慣れしているのか、愛想がいい。
(お店によっては観光客がコロナと思っている人もいる感じがしたが、それも
狭い島なので仕方がないか)
おじいちゃんたちに「ここなんて書いてる?」と聞かれて、その3人組おじいのことが気になって、話したかったけど、私が話しかけてはいかんだろう、と思ってじっとみていた。

1人の人が支払いをすませる男気。きっとこの年代の人には当たり前のことなのだろう。

「いつもの」で通じる、完全に地元の人。

彼ら3人を見ながら思う。
戦争も経験しているだろう。この島での戦争体験はきっと内地とは違うだろうし、私たちの想像を超えるだろう。

この島でずっと何かの仕事をしてきたのだろう。どんな人生だったのだろう。
そんなことを想像するだけで、その人の人生に思いを馳せるだけで今でも泣きそうになる。
そんな感情が湧いてくるのも、自分がずいぶん「再生」しているからだと思う。

都会でずっと忙しく仕事をしていると、「心がなくなる」気がする。

何をみても、
どんな事件が起こっても、
どんな話を聞いても、
心が動かされない。

心が動くと、その心のケアをしないといけないから、それが時間の無駄になるから
自分でブレーキをかけている感じだ。

それはどこかで感じていた。
でも、仕方がない、と思っていた。

でも、実はとても大事なことなんだと今でも思う。
あのおじいたちもいつまで生きているかわからない。
だからこそ本当はいろんな話を聞きたかった。
コロナがなければ・・・

間違いなく久米島で私は自分を取り戻せた。


「絶対にもう一度くる」

って決めて、後ろ髪を引かれるようにして帰ってきた。
その久米島から那覇へいく、琉球エアコミューターの客室乗務員の方が、絶世の美女で、上品で、まだ27歳くらいだったと思うが、「こんな若い客室乗務員で、こんなに素晴らしい人で、接客ができる人がいるのだ」と、この道30年の私が感動するほどの方に出会ったのも、この旅のフィナーレを見事に飾ってくれた。

(ネームプレートの名前も覚えている)

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人生を変える旅。

きっとあなたにもあると思うが、私にとって久米島は間違いなく人生を変えた旅だった。
そして、その影響は今も続いている。
またこのことについては、いずれ書こうと思う。

多くのお金を稼ぐ自分よりも、ふと出会った人の人生に思いを馳せて泣ける自分の方が私は好きだ。


上野 博美


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