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小説を書いて一日後


昨日の小説より、「小説を書くまで」の方がたくさん読まれていると言う事実を、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。

いずれにしても、何か発信したものがどなたかの心に触れたのでしたら、それが何より嬉しいな、と思っているのが「私の書くことの原点」かもしれません。

人間の健康寿命が80年だとすると、全世界中の人に会えることは不可能。
だけど、何かを発信してそれが全世界中の人に届く可能性はある。
そう考えると、音楽、絵画、詩、小説、本って言うのは、無限の可能性があると思わざるを得ません。

昨日の小説の続きは、まだ書いていませんが書けるネタは見つけています。
このメッセージを書いたら早速書きます。
(さっさと小説を書け、と自分で言っていますが、落ち着いた環境でないと集中できないのです、と言い訳してみる)

んで、小説を書いてみて一日経過して、何か変化したのか?

変化しました。

3つくらいは変化を自覚しているので、それを今日は書きます。


  1. 小説のことが常に頭にある状態⇨ネタを常に探し、ストックしていますね。楽しんで読んでもらう、と言うことを念頭にしているので、ネタをどう料理するか、と言うところも面白い。こんな発想は今までにはなかった。

  2. 新しい世界に踏み出した気がしている⇨自分で勝手に書いているだけで、別に出版をした訳でもないのに、なぜか自分の中では新しい世界に踏み出した気がしているんですよ。これが不思議。そして今年2023年の抱負として、「新世界」って、筆ペンで書いて本棚に貼ってるんですね。私。やっぱり毎日のように見ていると、自然と意識に刷り込まれているyのかな、と思っています。書いて貼る、って大事だな、と実感中。あの大谷選手は、自分の目標を年齢とともに書いていて、それがことごとく予言のように達成しているらしい。そこまではできないかもしれないけど、3年後くらいには、ちゃんと商業出版できるといいな、と密かに思っています。長い人生一冊くらいは、小説が書けるほど、みんなそれぞれの人生を生きているんじゃないか、みたいなことを、小説家の石田 衣良さんが昔エッセイに書いていらしたのが、今でも記憶に残っています。

  3. 人間関係が変化しそう⇨これはまだ「予感」なのですが、今までの人間関係とは違う人たちと会いたい、という欲があります。つまり今までの人間関係は少々飽きている。もちろん大事な友人もいるし、話していると楽しいひとたちもいるし、卒業生たちのことは今でも成長を見るのが楽しみではあるけど、「会うのにワクワクする」という人間関係に飢えているのです。少し前からなんとなくそれを感じていて、だから人に会うと疲れていたのかもしれません。それは会った人たちには全く罪はなく、私が変化したことによるのだと思います。以前ならすごく興味があったことに、ほぼ興味がなくなっているので。そして昨日小説を書いて(1話だけだけど)公表したことで、この予感が強くなりました。

行動するのは、自分次第。
つまり自分軸だけど、行動したことによって、考えることや、欲しいものが変化するというのは、決して自分が仕掛けたことではない、のが面白い。

行動する人の周りが勝手に変化するって感じかな。

いずれにしても、人間の寿命には限界があり、健康寿命にも限界がある。
若くても、そうでなくても、その寿命は誰にもわからない。
だったらやっぱりやりたいことは、さっさとやった方がいいんじゃないか、と改めて思っている。
欲しいものリストにあげたものも、買いたいものから買っていこうかな、と思っているところだ。

やっぱり、一歩を踏み出したことによって、大きな変化がやってきているのは間違いないです。


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