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結婚記念日

最初に断っておくが、私の結婚記念日ではない。
今日は、両親の結婚記念日だ。

と言っても、父は昨年亡くなったので、もう結婚記念日を共に祝うことはできない。
昨年は父は病院にいたので、祝うこともできなかったが、その前の年までは
何かしらのプレゼントやお菓子を持って行っていた。

父の日や母の日だけではなく、なぜか両親の結婚記念日が私には記憶にあり、
いつも気になってささやかなお祝いをしたものだ。

考えてみれば、父と母が結婚しなければ私は生まれていないし、母親同士が友達だったという縁を持つ2人であったことから、母は実家の継母から逃げるように父と結婚し、自由奔放な父のおかげで母もようやく自由を手に入れたと思っていたようだ。

私からすれば、この夫婦は子育てをするために、私と妹を育てるために2人は結婚したように思える。
子育て中は、絶妙のバランスでこの2人は両親としての働きをしていた。

母が怒れば、父が逃げ場を作る。
父は子供がやりたい、といったことをいつでもさせてくれ、その後のフォローは母がする。
子育てに関しての2人の意見は、見事に一致していて、父と母で違うことを言われることは皆無だった。
お互いが返事に困ることは、「お父さんに聞いて」「お母さんに聞きなさい」と、子育てにおいては、お互いを信じ、尊重していたように思う。

当然ながら、子育てが終わる時が来る。
子育てという、この夫婦にとって最大のミッションが終わると、それぞれの違いが大きすぎて、しょっちゅう喧嘩をしていた。
ただ、父は母がいなければ困る人だったし、母も口には決して出して言わないが、頼りにしていたのだ。

昭和の夫婦は、言葉で違いを労ることはほとんどない。
本当の2人の思いは、私は知る由もないが、娘という立場で見ていると、2人は
なるべくして夫婦になったような気がする。

昨年夏に父が亡くなって、間も無く一年が経とうとしているが、父が亡くなってから母は、仏壇のお世話を甲斐甲斐しくやっている。
いじっぱりなところがある母は、決して口に出して言わないが、自分にとっては
かけがえのないパートナーだったと、亡くなってから思っているように見える。

夫婦とは、その当人たちにしかわからないところがあると思うが、娘の立場からすると、「この両親でよかった」と思えることは、心からありがたい。
だからこそ、今日結婚記念日を祝うことができなくなったのが、残念で仕方がない。
でも、結婚してくれてありがとう。
この日があったから、今の私があるから。


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